「遭遇 〜水切り〜」 『少年と怪物』

波紋 画像 『少年と怪物』
スポンサーリンク

※表紙画像 kalhh


少年と怪物

四月

遭遇そうぐう 〜水切り〜



【四時間前 八時五分 網船磯あみふないそ 相原江利あいはらえり

 曇り空をながめた後、江利は細い木の棒を拾い、ポケット図鑑を手に磯をぶらついた。

 インチョーと会ったら「海の生き物を勉強してた」と話しかけるつもりだった。

 
 しかしインチョーの姿はどこにも見あたらなかった。

 三十分、一時間と待っても現れない。

photo by Dimitris Vetsikas



 待ち飽きて、まったく興味は無いが生き物の名前を調べはじめた。

 団子虫だんごむしの甲羅を思わせる形の、指一本分ほどの大きさの貝が、岩に数十とびっしりくっついている。

 図鑑をめくると〈鎧ヒザラガイ科ヤスリヒザラガイ〉とあった。

 化石みたいで、生きてるのか死んでいるのか、わからない。
 
 岩から生まれたようだった。



photo by WikimediaImages

 

 貝の下面が気になったので、

(きっとぐにゃぐにゃした赤い内臓で、細い足がいっぱい生えてるに違いないけれど)


 枝でこじったが、がっちりとくっついていて、どんなに力をこめても剥がれなかった。


 透明な潮だまりで磯巾着いそぎんちゃくが、五、六匹、列になってピンク色の短い触手を揺らしている。

 図鑑によれば〈腔腸こうちょう動物花虫かちゅう類〉というらしい。とても難しい名前だ。

縦縞たてじまイソギンチャク〉ではなく、赤みの強い〈梅干しイソギンチャク〉だと書いてある。

「梅干し? 変な名前」



 


 花弁の真ん中に枝を突っ込むと、濡れた音がした。潮を吹いて、触手が枝にまとわりつく。

“あんたって本当に男の子よね”という母親の声が聞こえた。


「くそ、うるさいな」江利はつぶやいて、枝をぐりぐりとこじった。

 イソギンチャクが半分かた破れ、ひらひらと肉片を揺らした。


 あたりの水はどこも澄んでいて、よく見れば海中に、沢山のイソギンチャクがいる。

『いま、アンタがやったことを見ていたよ』
そう言われているような気がし、江利は水面に枝をぶつけた。



「なによ、文句でもあるの。こうなるわよ」


 網船では磯玉いそだま、もしくは〈しただめ〉と呼ぶ〈バテイラ〉―〈原始げんし腹足ふくそく類クマノコ貝〉―(えらい学者さんはどうしてこう難しい名前をつけるのだろうか?)を江利は見つけると、つまんで空にかざした。 

 
 先端に向かうほど細くとがる螺旋らせん、穴からヤドカリが顔をだした。〈十脚類じゅっきゃくるい〉という種類らしい。

photo by aranha



 江利は何匹も捕まえては、遠くの海へほうり投げた。

 小さなしぶきはすぐに波にのまれた。
 

 見せしめにするのに良さそうな、大きな一匹を捕まえると平たい岩の上におき、大きな石を落として、潰した。


 案外柔らかく、海水と体液が混じって黄色いどろっとしたスープの中で、割れた白い殻の破片にまみれたヤドカリは、ゆっくりと足を動かし、死んだ。
 それで終わりだった。

 破れた柔らかい腹の内臓を枝でひっくり返すと蛆虫うじむしそっくりで、江利は顔をしかめて、その場から離れた。

(ほら、なにも危ないことなんか無い)


 岩から岩へとび跳ねながら江利は思った。

 
 江利の影がさすと、チョポン、トポンと、水の中の何かが水柱をあげて逃げていく。

(決まりなんてクソくらえ!)


 江利は水面を枝で強くうった。

 遠くにいたかにも裂け目へ隠れた。



photo by Martin Winkler




(四年生は上級生か保護者と一緒でなければ、網船磯で遊んではいけません?)

 もう一度枝を振りあげて、水をうった。


(決まりも、ママも、クソらえよ!)


 江利は枝をむちのように振るい、水面を数十度と叩いた。

 息が切れ、深呼吸すると潮の香りが肺の底にたまり、海風もいらいらを飛ばそうとするように頬をなでた。


 水面下を大きな魚影が滑るように移動していった。


 かなり大きかった。腕、いや足一本くらいあった。

 本当に十二時の鐘が鳴っても帰らなかったらママはどれほど怒るだろうか、江利はそう考えた。


 もちろん本気で家出する気などなかった。けれど陽が落ちるまではインチョーを探そうと決めている。

 しかし残念なことに、どうやら今日はインチョーは磯にこないようだ。


(仲間にまぜてもらえないかな)江利は考えていた。


 もしインチョーの仲間になれたら、毎日インチョーと話せる。この半年、ずっと願っていたことだ。


『君、なんか見たことあるね。ぼくたちと一緒に遊ぶ?』

 インチョーがそう話しかけてくれたら、飛び上がるほど喜んでしまう。


photo by 渡邉 一矢

 

 気づけば江利は、小さな港のような入り江に立っていた。

 足下が岩から大小の砂利に変わっている。


 入り江の奥は外海そとうみにつながっていて、小さな波が足元まで静かに寄せていた。

 

 地元の人たちが〈入り海〉とか〈たまり〉とか呼んでいる場所だ。

 
 江利は小石を探した。平べったくて、かどがあるものがいい。投げるとき、そこに人差し指をひっかけるのだ。


 うまく回転がかかると、石は水面を跳ねていく。

 指のひっかけと手首のきかせ方、最初に水面に当たる角度が大事だ。

 なるべく水面と平行に投げるのだ。


 江利は水切り遊びをはじめた。
 
 石を拾っては、投げる。
 
 石が跳ねる回数を数える。


二、


三、


二、


三、


四、


五、



波紋 画像




 八といきたいところだ。


 世界記録は五十一回と誰かが言っていたが本当だろうか。

 たぶん世の中にたくさんあるウソのひとつだろう。

 
 
 無中になって投げていると、頭にくるママの顔、くだらない学校の決まり、そのほか気に食わない何もかもが遠のいていく。

 

 何十投めだっただろうか。

 水面を跳ねていった石が、何も無い水の上で、真横に跳ね返った。



 つづいて、水面が大きくうねる。


 そのあとで、また平らになった。



photo by Pexels

 


 たまりのその辺りには、水面まで届くような岩は無い。

 何度も泳ぎに来ているから知っていた。



 ここのたまりは、外海に向かってだんだんと深くなっていて、石が何かに当たったところの深さは七メートル以上もあるはずだった。


 岸に近いがかなり深くなるから、泳げない子は近寄らないようにと注意されていた。


 
 大きな魚かもしれないと、江利は首をかしげ、おなじ場所を狙って石を投げた。



 何度投げても、なにも起こらない。

 
 妙なことに、嫌な臭いが鼻をついた。

 海草が腐ったような、そこに錆びた鉄が混じったような臭いだ。



 あたりにはゴミがたくさん流れ着いている。
 
 これのせいだと重い、ゴミを海に投げはじめた。

 空き缶、洗剤のボトル、ガラス瓶の破片、ビニールテープのまとまり、腐った木、歯磨き粉のチューブ。


photo by SandraAltherr


 海面は、プカプカと浮かぶゴミだらけになった。



 江利は投げることに夢中になっていて、静かに近寄る動物に気づかなかった。



「遭遇2 〜展望岩てんぼういわ廃穴はいあな〜」に続く



・目次「六年生のあゆみ


コメント

タイトルとURLをコピーしました