「五心」とは 【シン説】第35説

偉人画像 【シン説】
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※表紙画像 Gerd Altmann



 すこし前の話になるが、三度めに会社を立ち上げることになり、

「もし会社を最初から運営できるとしたら、何を大事にするか」

 経営者にそう聞いてまわったら何と答えるだろうか。
 そう思った。



 なんの本で読んだか失念したが、これについては、驚くほど似た答えらしい。


「挨拶」そして「掃除」だ。



 組織を運営する方策は説明できないほどあるが、最初にとりかかるのがこのふたつ。

 わたしも意見を同じくする。



 ただ、このまま職員と共有するのは芸がないので、もう少し深い表現をしたい。

 
 長くなったが、そこで参考になるが「日常の五心」だ。

「日常の五心」


  1. 「はい」と言える素直な心
  2. 「すみません」という反省の心
  3. 「おかげさまで」という謙虚な心
  4. 「私がやります」という奉仕の心
  5. 「ありがとう」という感謝の心





 さまざまな仏教の法話でとりあげられるが、誰が言ったのか、何が出典かはわかっていない。


「日常の五心」とは

(リンク先「日常五心 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺」)



photo by Alex Hu




 簡潔、そして重要。


 誰にせよ、これを作った方は卓越した知恵者と推察する。

 
 このままでも心得として十分だが、成立がかなり昔と思われる。

 
 よって2021年現在においては少々補足し(会社で使いたいので)、
 わたしは以下「七心」とした。


「日常の七心」



【「はい」と言える素直な心】

・思いこみや独断をいれず、つねに虚心坦懐きょしんたんかいに耳を傾ける。
 意見が対立しても「そうですね」と、一度は受け入れる度量をもつ。


【「すみません」という反省の心】

・間違えたら素直に謝る。
 自分の非を認めることで、成長がはじまる。


【「おかげさまで」という謙虚な心】

・相手を立て、敬う。力を出しつつ自分は一歩ひく。
 自分が世界の一部であると知り、「私が、私が」の心を捨てる。
 それは無用な衝突を減らすことにつながり、幸せを増やす。



【「わたしがやります」という奉仕の心】

・現代は、できることが非常に多い。
困難なことであっても「If not me. Then who?」(わたしがやらなければ、いったい誰が?)そう思い、率先そっせんしてやる。

【「ありがとうございます」という感謝の心】

・縁あって集まった職場、仲間、数ある取引先から選んでくださったお客さま、そのことに心からの感謝を忘れない。
「ありがとうございます」と、はっきり口にできる習慣を身につける。


【「言いにくくはあるのですが、実は」という誠実な心】

陰日向かげひなたなく、嘘偽うそいつわりなく、いつもまっすぐに人と接するよう心がける。会社の内外だけでなく、家庭でも、友人に対しても誠実に接する。


【「わかる気がします」という思いやりの心】

・人間はいつだって自分本位なもの。「もし自分だったら」と相手の立場に立って、相手の心情を思いやるようつとめる。




「言葉は短いほど良い」
「余分な解説は無用」


 作家としてはそう思わないでもないが、
 会社は阿吽あうんの呼吸で通じる人から、まったく考え方の異なる人までさまざまに在籍する。


 わかりやすいほうが良いだろうと考え、解説をつけた。

追加した「誠実な心」と「思いやりの心」について




「誠実な心」
→古今東西の本を読むかぎり、昔から、どの国もどの組織も、虚飾きょしょくにまみれるものだ。
 特に長期に存続したものほど、だ。
 だが、一度きりの人生なのだから、人間の本性に負けず、気分良く人生を生きたい。

 つい嘘をついてしまうのも、見栄をはりたくなるのも、これは人間の本能であろう。

 しかし、誠実であろうと努力するのも人間の本懐ほんかい
 
 そう思い、追加した。


 今の世はどこも裏表がありすぎる。
(※当代の人間は皆、そう感じるのだが)
 
 それについて文句を言うよりも、まずコントロールできる自分こそが、
 裏表のない立派な人間として行動したい。

「思いやりの心」

 メディアの強大化、SNSの普及(特に映像と音楽を伴うもの)により、分断がすすんでいる。

 さながらアジテーター(煽動者)の養成所といった風情すらある。

 ここにこそ日本人の得意な「あちらさんにはあちらさんの事情がある」の出番だ。

 相手の立場になって考えることは、年をとるほどに強くなる能力であるが、自然には育たない。

 本が趣味から消えつつある今、さまざまな人生を模擬で生きることができなくなり、

 違う価値観を学べず、一方向の視点からの意見になりがちだ。
 言い合いは言い合いの因果に踏み込むことを意味し、

 喧嘩は喧嘩を呼び、戦争は報復がセットだ。

 握り拳をどこかで握手にせねばならないというが、そもそも握らなくてもよいよう、行動と言葉を心がけるべきであろう。

 戦うべき時は戦うしかないと覚悟を決めれば良い。

 されど、やはり、思いやりの心を胸に持ち、日々接することで、和が生まれる。

まとめ



 言葉にすれば、どれも当たり前のことばかりだ。


 しかし実践じっせんして生きようとすると、これほど難しいこともない。

 
 常に意識し、繰り返し日常の中でおこなう。

 いつか必ず身について、素晴らしい人間になれるだろう。

 仕事もプライベートもうまくいき、周囲には波長の合う人が集まり、幸せを実感できることだろう。


 私自身がまだまだ未熟な人間であるので、「五心」、「七心」は自分向けというのが種明かしだが、だれかの役に立てれば幸い。


今日のひと言

なにかを手に入れたり、なにかになったりすることも当然素晴らしい。
だが、理想を求めて日々努力する姿こそ尊いのだ。

最上もがみ世助よすけ

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