『小さなこと、簡単なこと』

【シン説】
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講演にて

 

終わったことは抜けてしまう頭のようで、

 

どこで講演をしたか忘れてしまったが、

 

「若者よ、いまこそ大志を抱け!」

 

というような調子で、学生を主体とした場で熱っぽく語ったことがある。

 

講演後は質問の嵐。

 

 

講演が45分なのに、質問応対が120分。

 

おひらきになったあとの関係者打ち上げの場でまで質問攻めで、
ウーロン茶しか飲めなかったと記憶している。(たいへんありがたいことである)

 

 

みな、目をきらきらさせ、自分のやりたいこと、夢、成し遂げたいことをわたしに熱弁してきてくれる。
(なかには感極まって、泣きだす子さえいた)

 

とかく「日本は元気がなくなったなあ」などと感じるわたしだから、

 

 かれらの熱意はたいへん嬉しく、

 

「うむ。やはり日本の未来は明るいな」などと思っていたが、
歳をとっての習い性か、
かれらの話に耳をかたむけるうちに、アドバイスをしたくなってしまった。

 

 

老婆心

 

おひらき間近になり、わたしはこのような質問をした。

 

「この中で、独り暮らしをしている人はいる?」

 

半数くらいが手を挙げたかと思う。

 

「じゃあこの中で、独り暮らしでも、ご飯をたべるときに『いただきます、ごちそうさま』と毎日言えている人は?」

 

手はひとつもあがらなかった。

 

つづけてわたしは言った。

 

「自分の家でもどこの家でも、自分の靴と人の靴をそろえる人は?」

 

「学校や仕事場で、ゴミを拾っている人は?」

 

思ったとおり、手のあがったものはごくごく少数だった。

 

口うるさいなあと思いつつ、言った。

 

「みんなが語った夢はとても素晴らしい。ぜひ成功するよう応援している。

 

でも、どれひとつとっても非常に大きく、困難だと感じた。

 

わたしがいまあげたことはどれも簡単で、小さなことだ。
算数のできない人が数学ができないように、
なぜ小さなこともできない人が、大きなことを成し遂げられるんだろう。

 

わたしはそう思う。

 

小さなことを大切にする。
小さなことができないと、大きなことはできないと思う」

 

 

本当はできていないこと

 

『神は細部に宿る』という名言もあるし、

 

なかなかうまいアドバイスを言えたと思ったが、案外つうじておらず、
肩すかしをくったわけだが、

 

ゴミを拾う、掃除をする、挨拶をする、いただきます、ごちそうさま。

 

こういったものをするには、特別な能力はいらない。

 

だからだれもが「自分にはできる」と思っている。

 

だが実際には、「できている」人は非常にすくない。

 

「やらなくて当たり前」になっているのだ。

 

頭の中で、「できる」と思っているだけで「できていない」ことが往々にしてある。

 

 

だからこそ、難しいことは成し遂げがたいのだと、わたしは思う。

 

 

仕事も家庭もどこでも同じではないだろうか。

 

大きな仕事をしていて、忙しいから掃除をするひまがない。

 

家庭では、趣味をしたり、家事をしたりと忙しいから、いただきますを言うひまはない。

 

 

そうではない。

 

小さなことだからこそ、大事にしなければならない。

 

これは見逃しやすいが、たいへん重要なことだ。

 

言葉は身を助ける、されど言葉は身を滅ぼす

 

たとえば、とても重要なそのひとつに「言葉」がある。

 

言葉は人を生かす。

 

されど言葉は人を殺すこともある。

 

それほど大きな力をもつのに、言葉は「簡単に」口からとびでる。

 

だからこそ、大事に、丁寧にあつかわなければならない。

 

 

こういった小さなこと、簡単なことを見つめなおすことで、

 

また人生は良い方向へ変わっていくのだと思う。

 

 

 

今日のひとこと
『小さなこと、簡単なことができねば、なにごともなしえない』
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