『儚(はかな)い』

【シン説】
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人偏(にんべん)に夢と書いて、はかないと読む。

 

つくりも響きも味わい深く、つくった人はしゃれているなと思う。

 

そして、いささか弱い人間で、いい人生を歩まなかったのではないか、とも。

 

夢が叶わなかったのだろうかと、想像もめぐらせてしまう。

 

 

このように、人には行間を読むという能力があり、

 

機械が真似できない分野でも遠い位置にあると言われている。

 

 

日本人は、物事の裏側を察する能力に、とくにたけており、

 

表情、声のアクセント、こまかな情報から、その人の真意をおしはかるのは、

 

専売特許だ。

 

 

いまひとつ例をだすと、ヘミングウェイのもっとも短い小説がある。

 

『赤ん坊の靴。売ります。未使用』(原文は6語)

 

 

広告なのだが、これを出したのは、父親かもしれないし、母親かもしれない。

 

お金に困っているだろうことは予測がつく。

 

だが重要な点は、使っていない赤ん坊の靴が売られるのだから、そこには非常な悲しみがあるのではということだ。

 

 

儚い命が集まってできている、この儚い世の中は、

 

楽しさも嬉しさもたくさんあるけれど、

 

おなじくらいつらさも、悲しさもある。

 

最近はとくに、後者を感じる人が多くなってきたのではないか。

 

 

世の中が無常とか、人生が苦しいと感じるそのようなときは、

 

この儚さというものを、もうすこし深くつきつめることをおすすめしたい。

 

 

人間は、ただただ楽しいから、
楽しさを感じるというような単純な生き物ではなく、

 

反対の感情を味わっていないと、鈍感になっていく性質をもつ。

 

 

『この世とも、もそろそろさよならかもしれない』

 

 

ときにはこうした思いで夜景をみて、とっぷりと我が命の有限を儚んでみる。

 

すると、星のみえない曇った夜でさえ、心を浮き立たせてくれるに充分な用をはたす。

 

 

われわれは、普段、麻痺するほど日常に慣れ切ってしまっており、

 

新鮮味を感じることができなくなっている。

 

味気ない人生はつまらない。

 

 

だから、

 

いつの日か、自分が目にしているこの景色を、見られなくなるときが必ずくる。

 

ときにはそう思うことで、二度と過ごすことのできない今日という日を実感できる。

 

我の儚さを知ることで、人生がまたひとつ光り輝く。

 

 

今日のひと言
心について知り、人生を輝かせる

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