「刑事5 〜発見〜」 『少年と怪物』

『少年と怪物』
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少年と怪物

四月

刑事5 〜発見〜

※表紙画像 Gerd Altmann


 廃穴はいあなの水に手を入れていた高田が声をあげ、すばやく手をひいた。

「どうした」本間は言った。

「なんか手に触ったんです。ぬるっとしてて。魚かな」

「くらげじゃねえか。刺されたか」

「大丈夫です。なんでしょう、気持ち悪かったな。本間さんちょっとベルトを持ってくれませんか」

 本間は高田の腰の後ろのベルトをつかんだ。高田が水の上に乗りだし、右腕を伸ばした。

「いいですよ。ひいてください」

 濡れた高田の手のひらには、爪が二枚のっていた。

「……大きさも色も、同じですよね。これで片手分だ。何枚ありますかね」

「鑑識じゃねえと、同じかどうかはわからねえよ。ただ、全部探さねえとな」
 本間は言ったが、高田のいうように、おなじ人間のものだろうと思った。

 
 高田が懐から保存用の小袋をとりだし、丁寧に爪をおさめた。

 本間は、先ほど穴で見かけた奇妙な物体が気にかかっていた。

 機械か生き物かと問われれば、生き物だろうとは思う。
 しかしなんの生き物か、まったく見当もつかない。
 水の生物について詳しいわけではないが、それでもあのように大きくて光る生き物がめずらしいことくらいはわかる。
 体が光る生き物はこのような陸の近くではなく、深海にいるのではなかっただろうか。
 発光する赤黒い何か。
 いったいあれは何だったのだろう。

「高田、さっきのあれ見たか」

「なんですか」

「水の中に、そのヌシみたいな……なんでもねえ」

 高田の困惑した顔を見て、本間はやめた。今は、この事態に対処せねばならない。

「あと五分くらい探すぞ。応援がきたら、いったんきりあげて説明にいくからな」

「自分、ここの周りをやります」高田が言った。「まだ他に何かあるかもしれないので」

「わかった、おれは穴のまわりをひとまわりしてくる。何度も言うが、何かあったら大声で呼べよ」

「大丈夫です」

網船磯画像

 
 本間は、高田を残し、穴のふちにそって歩きはじめた。
 廃穴という名前らしいが、穴というよりプールといった方がいい。
 場所によっては、落ちたらあがれないほどの高低差があった。

 地元の子どもたちが泳いだり、ゴムボートを浮かべたりして遊ぶのだろうが、泳ぎの苦手な子どもや小さな子どもには危険な場所だ。

 血、そして爪は、十中八、九、通報者である相原成子の娘のものだろう。その可能性が一番高い。
 しかし決めつけるのは早合点だ。今頃、家に帰っているかもしれない。

 本間は足を止めた。

 事件現場と反対側に、変わった染みが広がっていた。

 幅はおよそ五メートルほどで、やけにまっすぐだ。巨大な刷毛はけでひいたような跡だった。
 乾いて、黒く変食しており、梅雨の時期にパンにはえるカビに似ている。
 雨が降れば消えてしまうほど薄く、見ているあいだにも、風にふかれて消えていった。

 漁師などがつけた何かの目印だろうか。
 そうであれば塗料だ。
 
 それにしても不思議な眺めだった。
 黒いカビのような跡は、風に吹かれると細かい粉末となって舞いあがり、溶けるように空気中に消えていくのだ。
 カメラを持ってくればよかったと思った。

photo by Pattadis Walarput

 
 大量の血痕。何枚もの爪。赤黒い発光体。そしてこのカビ。

 わからないことだらけだった。

 手に負えない事件なのかもしれない。そう思うと薄ら寒くなった。
 そのとき、高田の叫ぶ声がした。

「どうした!」

 本間は己の名を呼ぶほうへ走った。

 高田が、廃穴から大きな岩壁をふたつへだてた場所にいた。垂直に近い岩壁に、手をついてもたれかかっている。高熱がでたように激しく震えていた。

「なんだ! 何があった!」本間は息を切らしながら言った。

 高田が震える指で、前方の壁面をさした。

 現場ほどではないものの、ここにも血痕があった。
 たとえれば、水風船に血を詰めて投げたといえばいいか。

 血痕の上、斜めにはしる岩の裂け目に、樹皮をいだ生木なまきのような、五十センチ足らずの白い棒が挟まっていた。高田はそれを指さしていた。

 木の先端は、五つにこまかく枝分かれしており、根元の切り口が赤い。
 年輪の中心にあたる部分には、二本の石灰質らしい白い棒が突きでており、その周りは魚のエラのような赤いひだに囲まれている。

 人間の腕である。
 それも子どものだ。
 
 曲がった指の爪は残らず剥がれていて、白くなった肉が盛りあがっていた。
 必死に抵抗したのだろう、指先は骨までのぞいている。

 高田が喉を鳴らすと、大きなゲップをもらした。
 高田はそのまま、よろめいて離れると岩壁に嘔吐おうとした。
 吐瀉物としゃぶつは赤く、本間は血を吐いたかと思ったが、カレーのようだった。
 香辛料と胃酸の混じったえた臭いが漂ってきた。カレーの中の白い飯粒がウジ虫のようだった。

 本間の脳裏になぜか、高田も青屋の出前を食ったんだな、小僧と何を話したのかと、ひどく場違いなことが浮かんだ。

 高田が身を折り、ふたたび嘔吐した。

「現場を汚すな」
 そう声をかけてから本間は気づいた。
 
 高田の右手、その指先から手の甲、手首のあたりまで細かいできものができていた。
 火傷をした際の水ぶくれのような、妙な湿疹しっしんだった。


母 〜赤い湿疹〜」へ続く


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