少年と怪物
四月
小学校2 〜男の子の幽霊と用務員〜
【四月七日 七時四十五分 インチョー 網船小学校】
海漁町立網船小学校
茶色いタイル張りの門が見えた。
表札に掘られた学校の字は、元が何色だったかわからないくらいメッキが剥がれている。
門のすぐそばの、桜の樹の下を通り校舎へむかった。
桜の花びらが舞い散るなか、児童たちが続々と登校している。
黄色い学童帽子で急に賑やかになった。
(一年たったら卒業だ)
インチョーは、二週間しか経っていないのに、やけにひさしぶりに見るような校舎を見渡した。
コの字型に並ぶのは、鉄筋造りの本校舎と体育館、細長い木造校舎。
砂漠のような色の校庭。
サッカーゴールは鉄柱がさびて、網が破れている。
一年生から三年生が学ぶ木造校舎・第一棟の前には、見事な六本のソテツの木が一列に植わっている。
豊かに生い茂った葉が、一棟の屋根を隠していた。
左手に、全面を金網で囲まれた屋外プールがある。
今年の夏もあそこで死ぬほど泳がされるだろうとインチョーは思った。
海が近いので、網船小の水泳の授業はとても厳しい。
(今年こそダイに勝つ)
インチョーはそう思うが、同時に無理だろうとも思っている。
水泳は万年二番。
ダイは全国大会に出るほど速い。
ほかに、四十本ほどのいろいろなタイヤが半円に埋められたタイヤ広場。
恐竜のように大きな木組みのアスレチック。
ブランコがふた揃い、シーソー、砂場、鉄棒、雲梯、滑り台が二つ。幼稚園の園舎。
中学校に遊具は無いと聞いた。それが本当ならとても残念だ。
ひときわ目をひく巨大な木造アスレチックのてっぺんには、三本の綱が張ってある。
高さは本校舎と同じくらいだ。
本校舎は二階建てだが、普通の家でいえば四階建てくらいだ。
この綱は「度胸試し」と呼ばれていた。
インチョーは三年生のときに初めて挑戦したが、頭上に一本きりのロープを握り、二本のぐらぐらする足下のロープをつたいながら、風に揺られた怖さは今でも思いだせた。
下を見下ろすと宙に浮いているようで、目がくらみ、手のひらが汗ばんでぬるつく。
児童の間では「度胸試しから落ちて、首の骨を折って死んだ子がいる」という話が昔から伝わっている。
その死んだ子は「羽田くん」と皮肉なあだ名で呼ばれていた。
ハネダくんは幽霊となって、夜な夜なアスレッチックの下にたたずんでいる。
「首が後ろに直角に折れてて、脳がはみ出てボトボトこぼれている」
姿を見たという児童たちは口をそろえる。
もしハネダくんに見つかると、アスレッチクのてっぺんまで引きずっていかれ、度胸試しをやらされる。
しかし途中で必ず足を引っ張られて、殺されてしまう。
だからハネダくんを見たら、全力でまっすぐ逃げなければいけない。
なぜならハネダくんは、首が折れていて顔がほぼ真後ろを向いていて、うまく走れないからだ。
だから、まっすぐ逃げれば追いつかれないと、ここまでの話は、全児童が知っている怪談話だ。
木造校舎に掲げられた大きな三つの看板が見えてきた。
それぞれにポーズを決めた少年の絵で、〈やる気〉〈元気〉〈こん気〉と書いてある。
春休み明けの、新鮮な空気に吹かれながら、
(メンバー全員が一緒のクラスになれるといいな)
そう、インチョーは思った。
すると、新学期の幕開けにふさわしくない、怒鳴り声が前の方から聞こえた。
体育館の前に、用務員の外吉が立っていた。
「けつのクソ青えヘナっぴいども! また来ゃあがったのか! ずっと休んでおりゃええものをよ! 休みが短すぎるってんだ! 根性のねじ曲がったクソガキどもめが、今日もノコノコ仲良しごっこか! てめえらのきったねえ靴で学校んなか汚したらただじゃおかねえぞ!」
外吉は七十歳過ぎだが、大柄でがっしりしていて、短い髪の毛とひげが真っ白なので、児童たちから白鬼と呼ばれていた。
「邪魔だ! じゃりども!」
グレーの褪せた、汚いつなぎを着た外吉が竹箒を振り回した。
地面を叩き、一番近くにいた四年生の女の子二人の足を叩いた。
外吉の竹箒は、棘のように枝分かれさせた枝ばかりで作った特製だ。
女の子たちの腿に一瞬で、何本もの真っ赤なミミズ腫れができた。
女の子たちは悲鳴をあげ、泣きながら駆けていった。
「ちょいと撫でただけじゃねえか。泣き虫毛虫つまんで捨てろってか」
外吉が高笑いした。
・目次 『六年生のあゆみ』