少年と怪物
四月
小学校5 〜不穏な始業式〜
【四月七日 午前八時十分 学び舎第1棟 六年一組 インチョー】
インチョーと長治が六年一組の教室に入ると、三十人全員がすでにそろっているようだった。
めいめいが机に腰かけたり立ったりして、三、四人ずつで固まり、にぎやかに話している。
―ずっと休みでよかったのに。もう終わりかよ。
―今週のジャンプ見た? 『男塾』おもしろかったぞ。
―やっぱ『ナウシカ』よりおれは『AKIRA』だな。
―ねえ、だれと隣になりたい? あたしはね……。
―担任の先生新しらしいわよ。
―相原さんて五年生の女の子が春休み中に死んじゃって……。
用務員の外吉にからまれていたことを聞きたいのか、何人かがインチョーのもとへ来ようとした。
だがインチョーが不機嫌そうな顔で見返すと、ひきつった笑いでもどっていった。
インチョーと長治は席に行かず、じっと黒板を見た。
長年のチョークの粉が染みこんだようなどこか白っぽい黒板に、ふたつ横並びになったマスがたくさん書いてある。
マスの左に男の子、右に女の子の名前が入っている。
もし自分の名前が無ければ、隣の六年二組に行かねばならない。
恒例行事の「クラス分け」だ。
網船小学校の児童数は少ない。全校で二百五十名ちょっとだ。
六年生と、一つ下の五年生だけ二クラスあり、四年生から下はすべて一クラスだ。
名前は生まれ順で入っている。
上から四月ではじまり、下に向かって三月で終わる。
メンバーの名前は探すまでもなかった。
ダイは教室の後方で政義、龍一の二人と「今年こそジャイアンツだろ」、「いやまた中日だ」と野球の話をしていたし、ハカセは窓際でいつものように大事なポケット図鑑を読んだまま、女の子たちの質問にこたえている。
マウスは先生の机に尻を乗せて、身振り手振りも激しく喋りまくっていた。クラスの三分の一がマウスのまわりに集まっている。
幸運なことに、組み分けの神様がメンバー全員を同じクラスにしてくれたらしかった。
全員が一緒になるのは、六年間で初めてのことだ。
インチョーと長治は顔を向き合わせて、ニヤッと笑いあった。
するとメンバー全員も、話をしながらそれぞれ一瞬だけ目線を向けてきて、下手くそなウインクをした。
インチョーはハチミツに似た甘い香りのする茶色の仮机に荷物を置いた。
仮机と呼ぶのは、始業式のあとで席替えするのが決まりだからだ。
席替え。男の子も女の子も、好きなあの子と座らせてと願う一大イベント。
いつだかマウスが、席替えは運命だと言っていた。
『好きなあの子と座れば毎日バラの道なのになあ。でも人さし指と中指で一気に両方の鼻の穴をほじくっておまけに食べちゃう夏菜子と座ったらイバラの道なんだよなあ』
しかしインチョーは、とくに好きな女の子もいないので、静かな子が隣ならそれでいいと思っていた。
いつものようにだれとも話さず、窓の外の奥名山を眺めて物思いにふけり、
(それにしてもボロい)インチョーは教室を見渡した。
ひび割れた木枠の窓は、ひゅうひゅうとすきま風がひどく、ちょっとの風でもガタガタと鳴る。
雷や地震の時などは、ぶち割れるばかりにこれでもかと鳴流ので、低学年にはその音だけで泣き出す子もいるくらいだ。
梅雨の時期になると、廊下はもとより教室にも雨が漏り、天井からの水滴をよけてめいめいが散らばって勉強する。バケツが水滴を受け止める音は学校の名物だ。
その代わりに、並外れて大きく、よくわからない教室もたくさんある校舎は、児童たちにとって想像力を羽ばたかせる格好の遊び場だった。
陽が陰れば、廊下の暗がりに得体の知れないものがうずくまっているのを何人もが見たし、風で巻き上げられた校庭の砂が吹きこめば、廊下は砂漠のようになってじゃりじゃりし、全員が滑って遊んだ。
(父さんも、ここに通ったのかな)
インチョーは頬杖をつきながら、ふと思った。
マウスの大変話がとうとうその部分に入った。マウスはいまや、台風の中継をしているレポーターのようだった。
「ションベンちびるくらいすごかったんだって! 浜駄菓のおっちゃんとオレで、犬にエサやってたんだけどさ! はじめは人形かと思ったんだ! でもおっちゃんがあのグリグリ目を、もうほんとにビー玉みたいにまんまるにしてさ! オレ、マジでそのまま飛び出すんじゃないかって怖くなって、手で受けとめようとしたくらいで―いや、やばかったよ! モノホンの生首だってわかったとき、おそろしかったのなんのって! え? ちがうちがう。マンガでも映画でもないって! 本物の生首だよ! オレが発見したの!」
(そうか。あの事件のことをマウスがみんなに話すのは今日が初めてだ)とインチョーは思った。
しかしマウスの大変話は、あれからわずか一週間たらずで「浜駄菓にいた野次馬に混じって警察官から話を聞いた」という話から「浜駄菓のおっちゃんと生首を見つけた」に変わっていた。
インチョーは笑いをこらえ、口元を隠した。
きっと夕方くらいには「生首を交番に届けた」か「生首が襲いかかってきた」に変わるだろう。
マジシャン顔負けに、マウスがさまざまな手振りを混ぜて、話を続けた。
「でさ、生首の血走った目が、オレをこうギロッとにらんだんだよ! 信じられるか? まあ、実際に見ないとムリだよね。生首っつっても、おでこのとことか鼻のとこで輪切りになっててさ、ヒモみたいにつながってんの。頭から黄色い脳みそが流れて―」
女の子三人がけたたましい悲鳴をあげて、肩を寄せあった。
(ちょっとやりすぎだ)とインチョーは思った。
相原江利は友達ではない。でも顔は知っているし、そう、好意を持ってくれていた子だ。
死んだということに実感はない。しかしなぜ死んだのか、まだわからないし、いい気分ではない。
だが一方でマウスの話を、みんなと同じく自分も楽しんでいる部分もあるから不思議だった。
こういう気持ち、なんと言うのだろう?
マウスがいよいよ、得意満面で胸をそびやかした。マウスの瞳が生き生きと輝きだす。
離れて聞いていたみんなまで集まりだした。
「さあよっておいで見ておいで! バナナが安いよ! 今日はおまけに、特別怖い話をきかせるよ!」
マウスがスーパーの店員みたいなことを言った。
本当か嘘かわからないというひどい欠点があるにしても、マウスの話には、人を引き寄せる魅力がある。
そしてインチョーの予想通り「大海蛇を見た」という話がはじまった。
このままだと「大海蛇と戦った」になるのかもと、インチョーは微笑みながら話に耳を傾けた。
マウスが息を大きく吸った。話そうと勢いこんだ瞬間、拡声器からチャイムが鳴り、マウスがずっこけた。
―みなさん、おはようござあます!
キレるとすぐに往復ビンタをかます音楽の、増田先生のザアマス声が響いた。
―入学式を執りおこなあますので、児童のみなさんはすみやかに体育館に集合してくださあませ。くりかえしまあす!
「小学校6 〜不穏な入学式〜」につづく
・目次 「六年生のあゆみ」