『守株とは 〜変化をうけいれる〜』 【シン説】第36説

【シン説】
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※表紙画像 Petra Ohmer

守株しゅしゅ(※注1)という故事成語こじせいご(※注2)がある。
(※注1 または「守株待兎しゅしゅたいと」、「もりかぶ」と呼ぶこともある)
(※注2 故事成語 → 昔の出来事などから生まれた言葉。おもに中国から)



『守株』は、春秋戦国時代の思想をまとめた『韓非子かんぴし』に出てくる。

・春秋戦国時代(※ウィキペディア)

韓非子(※ウィキペディア)


【守株】

「昔、そうの国に、たいへん働き者の農夫がいた。
 かれの畑のはしに、切り株があった。
 ある日、狐に追いかけられた兎が走ってきて、切り株に頭をぶつけて死んでしまった。
 農夫は労せずしてその肉を得て、喜んだ。
 その日から農夫は、切り株のまえでじっと待つようになった。
 ウサギが捕れることは二度となく、畑は荒れ果てた。
 農夫は国中の笑いものになった」

出典 『守株』 韓非子



『守株』とは、このような話だ。


 

韓非が儒家じゅけを強烈に批判した際、『守株』をたとえ話にもちいたと伝わっている。

 すこし難しいが、そのときの批判が下記のものだ。

『聖人は修古しゅうこを期せず、
常行じょうこうのっとらず。
世之事よのことを論じ、
りてこれが備へを為す。
いま先王之政せんおうのまつりごとを以て、
当世之民とうせいのたみを治めんと欲するは
みな株を守るのたぐいなり』

出典 『韓非子』


【訳】

「聖人は、昔からおこなわれたことをくりかえさない。
 昔から行われてきた習慣に、したがおうとはしない。
 現在の世の実情を論じて、
 その備えをするものだ。
 今の世に、昔の王たちの行った政治の方法によって、
 現代の人民を治めようと願うのは、
 株を守る話と同じことだ」


 戦国春秋時代といえば、2700~2200年の昔だが、
 いつの時代も人は「前例無きものを敬遠するもの」らしい。
(つまり「前例や習慣の中ですべてをおさめようとするもの」らしい)


「昔の偉人が言ったのだから偉大な教えだ。それに従おう」というやり方である。

 韓非はそこを「今を生きるのだから、今にあったやり方でやらねば」といさめた。




『守株』は、いろいろな受け取り方ができる。


「そうだな。当世のやり方というものを考えねば」と思う人もいれば、
「いや、昔の人は頭が良かった。昔の教えはやはり素晴らしい」と言う人もいる。


 人は実に様々な意見を持つ生き物だから、『守株』を知ったことによって、
 極端な立場で「昔からのものはすべて古臭い」と言う人もいるだろう。

 

 私自身は、経営者としてみるならば、

「古くても素晴らしいものは活かす。古くて時代にそぐわなければ新しく作る」

 そう活かそうと思う。

 経営は、「たったいま、有効であるかどうか」に重きを置かねばならないと思うし、温故知新が好きというのがある。



 一方、これが作家としてみた場合、

「書いたならば、その書き方を捨てる時。常に新しいものに挑戦」という姿勢を鉄則としているので、

 古いものより、もっと未来に目が向いている。

 日本文学全集、世界文学全集、あるいはノーベル文学賞作品を優先して読んでいるが、
 
 それらに使われた既存の文章技法を真似する気は無く、

 エッセンスとして体に残り、無意識に出てきてしまう分には、といった感じだ。


最近、手書きに。次の日、汚くて読めないことがある。


『守株』の活かし方は、人それぞれ異なる。

 
 だが、政府や国、あるいは会社や組織、個人というものが、多かれ少なかれ、
 株を守って大きな害を生じているのは、だれもが感じている通りだ。



 話は大きく、恐ろしくなるが、
 2021年現在、人類はコロナをきっかけに、また変わりつつある。


 日本だけみても、各地での豪雨などの災害の他、
 少子高齢化や、残業に対する法整備など、コロナ以外の要因もあった。

 
 人類最大の試練が、地球の気候異常であることは私が言うまでもなく、
 これから先、月日が過ぎるほど、
 地球上のあらゆる場所で、
 限度なく強大化する自然災害が、人類に降りかかるだろう。

photo by Pete Linforth



 どうすれば良いか、不安になるのが当然であるし、
 どのような人間であっても、ひとりの力は小さいもので、
 気候異常のような大きすぎる脅威に対しては、
 わたしも含めてほとんどの人が、傍観者にならざるを得ない。


 しかし忘れてならないのは、
 人は、集まれば、奇跡のような、素晴らしい英知を発揮する、この地球上で唯一の生き物だという事実だ。

 
 もうすこしだけ暗い予想を続ければ、

 人は、尻に火がつかねば動かないものであるから、
 おそらくは、取り返しがつかないほどのひどい事態になって(たとえば何億人も犠牲がでたり、
 気候異常による食糧危機で、各国の間に戦争が起こるようになって)はじめて、
 人類はその重い腰をあげるのだと予想している。
(予想が大外れであることを心から願う)


 尻に火がつくということは、一か八かの勝負になってしまっているわけで、
 一か八かの勝負は、経営や人生では九割以上負けに終わることがほとんどだが、
 この人類の腰の重さばかりは、仕方ないと考えている。

 まさに畑が荒れるのを見ず、兎を待つ農夫ということだが。

 
 
 だが、その重い腰があがった時のために、私は『守株』について書いておかねばと思った。
 広く知らせておきたいと考えた。

 
 なぜなら、
人類の英知が作りだす解決策は、おそらくはヽヽヽヽヽ当初、的外れに思えるものだろうし、馬鹿げたものにさえ思える可能性が大きいだろうと思ったからだ。

 
 気候異常に対する方策が、経済活動に反することは疑いなくて、かなりの我慢と忍耐を必要とする事になる。

 
 だからこそ、その新しい生き方を受け入れられるよう、解決の火種を消さぬよう、
微力ながら『守株』を書いておく必要があると思った。


 現在を生きる人間すべてが「これからの新しい環境に対応し、新しい生き方ができるのか」という、
 命運をわける課題と直面している。

 
 生存と存続の、最大の問題となる固定観念は、
 「生存環境よりも金銭の方が重要」という守株だ。


 これについて、結論は明快で、
 「生存よりも金銭が重要」などと、そんなことは決してない。

 生存環境はこの地球が作っているもの、金銭は人間が作ったもの。どちらが重要かなど、言うまでもない。

 無人島で百万円の束をいくつ抱えていようが、人は、綺麗な水の湧く泉が無ければ死ぬ。

 ただ、現代は、我々の誰もが、溢れる情報に振り回され、

 たとえば世界中のほんのわずかなスーパーリッチの生活を見せられ、

 比較をやめることができない生き物だから、

 自ら不幸と思い込んだり、何かが足りないという思いに悩まされている。


 
 どの個人も、組織も国も、この「生存より金銭が重要」という固定観念から抜けだすことは、とても難しいことだ。

 頭から拒否したいだろう。

 かくいう私だって、どれくらいの大きさかは測れないが、そのような考えを持っている。


「豊かな人はたくさんいるのに、私はまだ全然足りていない。ましてこれ以上の我慢など」
 
 みんながそう思うはずだ。

 
 私は日本人であるから、これくらいの悩みで済むが、最たるすれ違いは、先進国と発展途上国だ。
 (この区分けも非常に曖昧だ)


 今まで豊かに暮らし、代償として環境を破壊し続け、今も破壊を続ける先進国、
 
 豊かな暮らしに憧れ、追いつこうとしてきた発展途上国。

 この立場の違いによって、意見が相入れることはない。


 けれども、やはり守株になってはいけない。

「なぜだかわからないが、皆が豊かになるために行動しているから」という考えが、
 もし全人類に共通したままならば、破滅するだけだ。

 
 守株となった農夫の末路は、世間の笑いものだった。
 笑い者ならばまだいい。
 我らはその先で、他の多くの生き物を巻き込んで全滅するやもしれない。


 時間はまだ少しあるように思える。

「小欲知足」、「良く生きる」、「個と公」、

 語らねばならないことは山とあるが、

 まず、他の生き物と地球と、この先も我ら人間がうまく付き合っていくため、自分たちが生き延びるため、新しい生活様式を恐れず、柔軟に受け入れていくこと。

 そのために『守株』を紹介しておきたい。


 決して、やけっぱちになってはいけない。

 指をくわえて見ていてもいけない。

 見て見ぬ振りや無関係に振る舞うこともいけない。


 地球上で今を生きているのだし、この先の未来を受け渡す立場にあるのだから、

 努力をし続けるべきだと思う。


 人間というものは、たしかに目も当てられないひどい面が多いが、

 一方で、心震わせる、素晴らしい面も持っている。

 
 いきなり取り掛かるのはなんでも難しいことであるし、
 まして気候異常に対して行動を起こすなど、まったく現実感が無いので、
 日常の生活で見直せることからはじめる。
 それが私たちにまずできることではないだろうか。

 
 たとえば、人間の負の部分ばかりが映る光る板を見すぎず、
 たとえば、人間の愚かさについて諦めるのをやめて、
 「私なんかが何をやっても」と思うのもやめ、
 
 共生共存を頭に留めながら、自分がしたいと思うことに日々努力する。

 そうした人々が増えていけば、未来は決して暗くないだろうと思う。
 

 最後に、蛇足だがこの『守株』、日本では「まちぼうけ」という歌になっているので紹介して終わりとする。

① 待ちぼうけ、待ちぼうけ
  ある日せっせと、野良稼ぎ
  そこに兎がとんで出て
  ころりころげた 木のねっこ


② 待ちぼうけ、待ちぼうけ

  しめた。これから寝て待とうか
  待てば獲物が驅けてくる
  兎ぶつかれ、木のねっこ


③ 待ちぼうけ、待ちぼうけ

  昨日鍬取り、畑仕事
  今日は頬づゑ、日向ぼこ
  うまい切り株、木のねっこ


④ 待ちぼうけ、待ちぼうけ

  今日は今日はで待ちぼうけ
  明日は明日はで森のそと
  兎待ち待ち、木のねっこ


⑤ 待ちぼうけ、待ちぼうけ
  もとは涼しい黍(きび)畑
  いまは荒野の箒草(ほうきぐさ)
  寒い北風木のねっこ

※北原白秋/作詞 山田耕筰/作曲

今日のひと言

地球はあまりに多くの領域で危機に瀕しており、私が明るい展望を持つのは難しい。良からぬことが近づく兆しはあまりに鮮明で、しかもそんな兆しがあまりにも多い。もしも政府と社会がいますぐに核兵器を廃止し、気候変動がこれ以上悪化するのを食い止めなければ、大きな危機に陥ることが予想される。

スティーブン・ホーキング

・第35説 「五心とは」


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