『世界に嫌気がさしたとき、支えてくれるネルソン・マンデラの言葉』【世界の名言】
『教育とは世界を変えることのできる、もっとも強力な武器だ』
「たまさか運に恵まれた三文文士」という言葉は、
たとえばシェイクスピアなどが言えばこそ、さまになるのであって、
わたしなどが言えば「まさにそのとおり」と言ったところで、シャレにもならない。
だが、それでもいっぱしの作家きどりとしては、世界の愚かさにひどく嫌気のさすときがある。
もちろんこうした、くさくさした思いはすべての人がもつだろう。
だが作家は、多分に厭世観を秘めているものだから、
沈鬱としたときには、たとえば石に蹴つまずいただけで、
「今日この日に、つまづいた意味はなんだろう」
などと深く考えてしまう。
ありがたいことに「きみは明るいね!」と出会うほとんどの人に言われるが、
題名も内容も、まるで中二病のごとき駄文と自覚していながら、
嫌気がさす、そのときには後ろ向きな言葉をつらねずにはいられない。
暗い想像が離れない。
わたしの場合、本を書くにあたって残酷な事件を調べねばならないときになりやすい。
おおよそ、そこに政治家の醜聞を見せられることがきっかけとなる。
これを書いている今日ひとつとっても、
新任の大臣が「国会の答弁は、答弁書をしっかりと朗読する。なーんて言うとまた、叩かれちゃうんだよね」と失言し、文字通り叩かれている。
現職の市長が、懇意の面接者の採点水増し指示で逮捕。
「このハゲーー!!あたしゃ、◯まるでサマだよ!」と、怪人物ぶりを発揮した女性議員がお詫び行脚(あんぎゃ)開始(とうぜん、辞める気はない)。
元歌手の議員が、妻帯者の市議と不倫。
A国大統領が、核のボタンを押す指をふりかざし、共栄の基本を忘れて、今日も世界に不安を煽る。
脱力感である。
ひたすらな、むなしさである。
リーダーたちがこれでは、子どもも大人も元気が無くて当たり前だ。
と、下方スパイラルにおちいった先に、
待ち受けるのがつぎの結論だ。
『人間とは、かくも愚かな生き物である』
だがこうして世の中に嫌気がさしていると、まことによろしくない。
なにがよろしくないと言って、まず自分の人生がよろしくない。
そんなとき、闘士ネルソン・マンデラの言葉は、わたしに力をくれる。
『教育とは世界を変えることのできる、もっとも強力な武器だ』
歴史を学ぶほど、武力のもとに平和を築くというルールが絶対に思えるものだが、
マンデラ大統領は、武力ではなく、教育こそを武器に選んだ。
だからわたしも、叡智ある人類はいつか、もう一段進化することを信じたい。
一個人の声はとても小さいとしても、あきらめずに声をあげていきたい。
27年も投獄されたのに、アパルトヘイトの撤廃をあきめなかったマンデラの万分の一くらいは、わたしにも何かできるはずである。
シニカル(冷笑的)にならないこと。
世界はそういうものだよ、などと、
大人然として物分かりよくならないこと。
みんながそうだから、などと流されないこと。
なにより、石を食ってでもあきらめないこと。
みずからの為すことを為す、そのさきで、
世界が、人間の愚かさを否定する日がいつかきっとくる。
『教育とは世界を変えることのできる、もっとも強力な武器だ』
こうして、まがりなりにも文章が書けるのだ。
くさらずに、歩みつづけようと思う。
コメント