自分の頭の悪さに絶望
前回までのあらすじ
『作家になろうと決意したが、その第一歩で、みごとにうちのめされてしまった。
理由は簡単。
文章技術が難しくて、理解できないのだった。。』
つづき
わたしのように、国語の成績は平凡、
本もあまり読まない。
読むでなく、まして書いたとなると夏休みの読書感想文くらいという、
ごく一般の人間へ向けた手取り足とり、
なろうことなら、エスカレーターのごとく乗っているだけで、
文章の高みに連れていってくれる便利な魔法は、ひとつとして存在しなかった。
頑張ってはみたものの
作家になるという夢を見つけたものの、やはり現実は冷酷だ。
(見通しが甘いだけという話もあるが)
だからまず、頑張って、イロハのイであろう文章技法の本から読んだのである。
しかし!
品詞? 補語? 推定の助動詞? 副詞? オノマトペ?
ナニソレ。。。
本をひらくが、眠くなってしまう。。
これにはまいった。
だがこの時代、手がかりは必ずどこかにあるだろう。
そう思い、「作家になる道」などというものを探したが、
具体に示したものはどこにもない。。
せいぜいネットで、「作家になるには~」などというサイトがあり、
読んでいくと、講演会にきてほしいだの、授業料を払えだの、
役に立つかどうかわからぬ、一か八かのものばかり。
(多分役に立たない)
結局のところ、すべての道と同じく、
『飛び抜けるものはこれすべて、独学である』という真実にのっとり、
決意する(ひらきなおる)しかなかった。
神の公式
話は飛ぶが、独学で書きはじめてより3年目に出会った、ある単純な公式が、
10年経ったいまもって、秘策となっている。
長くなったが、わたしはこれを『神の公式』と呼んでいる。
『神の公式』は数学の公式と一緒で、簡単で美しくはあるけれど、
使いこなすに、その論理から知らねばいけないという奥深さもある。
だが公式自体は、じつに簡単だ。
それほど簡単で、わかりやすいのに、
どうしてこれほど広まっていないのか不思議になるが、
どの道も似たようなものだろうと思う。
幸せや真実は、どこかにつかみにいくものではなく、ごくちかくにあるものだ。
また、そこにあっても、時期がくるまでは役に立たないのだ。
もったいぶるのはやめろって?
ながながとたいへん失礼した。
神の公式とはこちらだ。
原稿用紙1枚は400字だから、たとえば5枚で2000字。
求められている長さにもよるが、2200字でつくったならば、
10パーセント削って2000にする。
(本当は1980になるけれども)
あるいは2000字だったものを、1800にする。
言葉を刈り込むのだ。
文章はダイヤモンドであれ
出来上がったばかりの文章は、ぶよぶよの贅肉だらけなのである。
文章はダイヤモンドを目指さなくてはいけない。
なろうことなら10パーセントといわず、もっと削ってもいい。
『神の公式』後編へつづく。
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