少年と怪物
四月
茶ん爺
5 〜サメっこが人を食う理由〜
※イラスト ©️もののふ
「おう。ひさしぶりだあな。泣き虫坊ん主が」茶ん爺が笑った。
「いっつもそうやって言うけど、茶ん爺の前で泣いたことなんかないよ」
「ほうか? ほいだら、いっつもなさけねえツラしゃあがってっから、そうみえんだな」
茶ん爺は《泣き虫坊ん主》と言っては、いつもからかってふざける。
インチョーは小屋の中を見まわした。
茶ん爺の小屋は、おもちゃ箱に似ている。
木の棚には天蚕糸、釣りや海老網のナイロン糸、もやい綱、長さも材質も様々な種類のロープがプラスチック籠に分けて入れてある。ブリキ缶にまとまった工具類。糸切りばさみに、網を編む竹の串。マウスが大好きな映画『ハロウィン』の殺人鬼ブギーマンがもったら似合いそうな特大のバサミ、魚籠や、地元民がカツカネと呼ぶ、アワビやサザエを穫るときに使う先の曲がった鉄製の棒。
リールがついたままの竿が何本も立てかけてある。
いつもとまったくおなじ光景だ。
インチョーは、ものがいつも同じ場所に置かれているのを見ると、なぜか心が安らいだ。
「茶ん爺、きいた?」インチョーは言った。
茶ん爺の手が一瞬とまり、にこやかだった茶ん爺が、とたんにぶすっとなった。
「……ああ、聞いたんによ」
茶ん爺が背すじをのばした。
「まあ。そう急くなや。こっちゃきて座れ」
茶ん爺がもう一つの丸座布団を投げ、ほこりが舞った。そのほこりが光を反射して、小魚の群れにみえた。
インチョーは礼を言って靴をぬぐと、正座をした。
茶ん爺が、特大の釣り針に糸を巻きはじめた。
茶ん爺が最後に、糸をとめる際のキュッという音だけが小屋の中にひびいた。
茶ん爺は、インチョーの正座をにらむように見ると、
「おめえはいつまでたっても、かたっくるしいやつだあな。まあそういうところがええんだろうけんなあ」
この目つき、なまりの強いしゃべり方、おまけに無口ときては、メンバーや他の児童がこわがるのも無理はない、とインチョーは思う。
おまけに茶ん爺の声は、怒鳴っているようにきこえる。
「足をくずせぉ」
インチョーはあぐらをかきながら、おや? と思った。小屋に入ったときから、茶ん爺をずっと《見》ていたが、違和感がある。
今日の茶ん爺は、怒っているようにも、悲しそうにも見えた。
なにか言うかと待ったが、茶ん爺はだまりこくってしまった。
「ねえ茶ん爺、人食いザメの話、きいたよね?」
「おう。聞いたんに」
茶ん爺が仕掛けを籠にいれた。
籠の中にはおなじ大きさの針が整然とならんでいた。
「……一昨日の昼ぐれえだな。町長の野郎が来やぁがってよ。おら、あのでっぷり太った若造よ。したあけん、みんなさ集めて、サメだなんだあ、そんなあ話してったな。おらあうしろで聞いてたけんよ、さめ狩りにでて欲しいってな事、野郎どもに頼んでいったあど」
インチョーは黙って聞きながら、茶ん爺を《見》つづけた。
日焼けで真っ黒い肌は、うす暗い小屋の中だと、くらがりに溶けこんでしまうようだ。目玉と歯だけが光っていて、妖怪か何かに見える。顔も手も黒いので、Tシャツの白も目立つ。
茶ん爺はいつも薄着だ。かたい皮膚は寒さを感じないのか、ねじりはちまきにTシャツで、冬も同じ格好だ。
「それでどうなったの?」
茶ん爺がため息をついた。めったにでないそれは、床にめりこまんばかりに重かった。
「……話が話だけんよ。やんどもは『ぜってえ、捕まえてやら』ってはりきってっさ。町長が太っ腹に『鮫をつかまえたら賞金をだす』なんて言ったぁしよ。そうさな、早けりゃ明後日にゃ、さめ狩りがはじまっど。恨みはねえが、子どもを食うような魚あ、ちっと生かしとけねえやな」
「茶ん爺もサメ狩りにでるの?」
「……どうだかな」
「一緒に行っていい?」
茶ん爺がまた黙った。
しかし、インチョーは待った。話はまだつづく、はずだ。
「けんどなぁ」茶ん爺がみじかく刈った白髪頭をなでた。
「けど?」
「……あいや。なんでもねえこっちゃ」茶ん爺が顔をあげた。「だけん、坊ん主もおれとおんなしこと、考えてんだろ?」
(江利を食ったのはサメではないかもしれない)
インチョーは考えていた。茶ん爺もそう思っていたのだ。(サメにしてはちょっと変だ)と。
「サメだとしてもよぉ、なんか理由があんでねえかと、おらあ思うんだ」
「わけ?」
「おうさな。サメっこが人間様に噛みつくってのは、よくあらあな。ちっと目についたとか、頭にきたからとか、そりゃサメっこにも、そっただことがあんだ。だけんどよ、そんだけではねえ気がすんな。サメってのは、あんまし大きい生き物は襲わねえんだ。ま、言っても畜生だけんがさ」
そうか。茶ん爺は、サメにも何か、人をおそう理由があったのかもしれないと、そしてそれが変だと思っているんだ。
自分のように、なにか恐ろしい怪物が、女の子を食べたと、そう考えているわけでは無かった。
「茶ん爺6 〜怪音〜」につづく
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