少年と怪物
四月
刑事3 〜起こりえぬ現場〜
署から現場へ、けたたましくサイレンを鳴らしながら車を飛ばすと、十五分とかからなかった。
高田への、電話応対のイロハのイも説教が終わらないうちに到着した。
車中で高田のアホが「現場の詳しい場所がわかりません」と叱られた子供のような声をあげたが、思ったとおり、あたりはすでに野次馬だらけで、目指す場所はすぐにわかった。
青ざめた顔の住民たちが「刑事さん、ありゃなんですか」などと言いながら、幾人も引き返してくる。
物見高い住民たちには大変めずらしいことで、またぞろ、気味の悪い予感が強くなった。
起伏のある磯を、濡れぬよう苦労して現着すると、本間は声を失った。
三十三年の勤めで、はじめてのことだった。
多量の血痕なら、若いときに交通事故の現場で何度か見ている。
しかしここには、大破した車もなければ、トラックに挟まれた遺体もない。
平和きわまりない土地で、起こりえぬ現場が、目の前にあった。
「下がれ、下がるんだ」本間は、人垣をつくっている野次馬を遠ざけた。
「……本間さん、何なんですか、これ」
高田が喉を鳴らして唾を飲んだ。
胸の悪くなる鮮やかな赤が、のどかな海辺に異様な空間を創りだしていた。
頭の上に張りだした庇のような岩棚から、血液が滴となって垂れている。
花火の中に火薬ではなく血を詰めて破裂させたように、扇形に広がっている。
現場の両側は、そそり立つ岩壁だが、そこも血まみれだった。
本間が最初に脳裏に描いたのは、気の狂った男が臓物をいれたズタ袋を振り回し、そこら中を手あたり次第に殴って回る姿だった。
重力に逆らい、血液が下方から上方に向けて付着している。
相当な勢いで叩きつけなければ、こんな風につかない。
ひらけた場所で、海風があるのが幸いだった。
屋内であれば、濃密な血臭で気分が悪くなっていただろう。
「……本間さん、何なんですか、これ」
高田が同じことを言った。
「わからねえよ」
現場の確保、周囲の閉鎖、鑑識の招集、本署連絡、現場の保全、時間残留の短い証拠の回収、ひさしく開いていなかった頭の中のマニュアルがひらいていく。
「高田、応援がくるまでそこらへんを探るぞ。いいか、余計なことをするな。何かあったらすぐに俺を呼べ。まず死体だ。早く発見するんだ。これだけの血だ、必ずある」
「……わかりました。いったん無線で連絡を入れてきます」
どこかに持ち去られてなければな、という言葉を本間は飲みこんだ。
高田が車に戻っているあいだ、本間はあたりを探った。
(あちこち欠けてるか。あるいはバラバラか。そのどっちかだろうな)と思った。
どのような形で発見されるにせよ、死体からは邪悪の臭いが立ち昇っていることだろう。
そのような遺体を見つけると思うと、膝の力がいくぶん萎えた。
しばらく見て回ったが死体は見つからず、「動物を殺したということはないでしょうか」と、戻ってきた高田が息を切らしながら言った。
「だといいな」本間は言った。「本当にな。だが人間様の血だろうさ。なにが起こったのかてんでわからねえが、平和ボケした頭にもビンビンくる。そうだろう?」
「本間さん、あれ。相原さんが言ってたやつだ」
高田が、すこし離れたところにある、椅子のような形の岩を指さした。
そこに、肉のついた爪が三枚、お供え物のように置かれていた。
小さい。
すべて先がギザギザに割れており、半分くらいのものもある。
爪が割れるほど、なにかを強く引っ掻いたと誰でもわかる。
もしかしたら犯人の肉片が付いているかも、本間はそう思い、
事故や動物ではなく、自分がすでに、これをやったのは人間だと決めかかっていることに、自分自身で驚いた。
「刑事4 〜赤光〜」に続く
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