※表紙画像 photo by Philipp Falkenhagen
「断頭台(ギロチン)」
今回は作中で使った「断頭台」について二点のおまけです。
連載小説『少年と怪物』の中で、少女にたいして理科の先生が言った「ギロチンについての豆知識は正しいのか?」について、です。
「水やりドクロ」という、あまり嬉しくないあだ名を児童からつけられた理科の先生は、作中で下記のようなことを児童に言います。
・ギロチンを発明したのはギロチン博士。
・切断されてから20秒くらい意識がある。
ギロチン博士は自らで試すことになってしまったとき、
「私の首が落ちてからずっとまばたきするから秒数を数えてくれ」と言った。
そして二十秒ほど、まばたきをした。
※使用シーン「四月 断頭台と少女」『少年と怪物』より
この二つについて補足です。
物語に使えそうな話ですよね。
一度聞いたら、けっこう耳に残るかと思います。
ただ、本の中ならこれでいいのですが、
事実と混同して記憶してはいけません。
他人に「実はこうなんだよ〜」と話すと、創作だった場合は、
あっという間にオオカミなんたらさん。
(わたしは小学生の時に聞かされたので、だいぶ大人になるまで、本当だと思っていました。。)
わたしの二の舞にならないよう補足します。
ギロチンの元になったのは、たしかに「ジョゼフ・ギヨタン」さんといって、彼の名前が由来になっています。
ギヨタンさんは、医師で国会議員みたいな役についていた方です。
でも決してギロチンの発明者ではありません。
作中にもありますが、それまでの刑にくらべて「ギロチンは慈悲深い方法なのでは?」と提唱した方なんですね。
(死ぬまでにけっこう時間がかかって苦しいうえに糞尿まみれの絞首刑とか、
処刑人の腕が悪いと何回も切りつけられて痛すぎる斬首刑、
馬とか牛による車裂きとか、そういうのに比べたら、ということです)
断頭台は、見た目がえらく残酷なことになってますが、たしかに苦痛を考えれば一瞬ですみそうです。
しかし紆余曲折(うよきょくせつ)があったのでしょう。
なぜかこの処刑具に「ギヨタンの子ども」を意味する「ギヨチーヌ」という名前が定着してしまい、それがやがて「ギロチン」になってしまいます。
※不名誉な感じで名前が使われ、ギヨタン博士とその一家は名前を変えたとか変えないとかいう説もあるそうです。
「じゃあ、なんでそこまで知っていて、その正確な知識を作品で使わないの? 間違っておぼえちゃうじゃん」と言われると、けっこう困ってしまうのですが、
ひとつは「物語が辞書ではないから」なのですね。
ギロチンについて詳しく知りたい場合、辞書を引くか検索するか、あるいは専門書を読むのがいいと思います。
(いま書いている知識も、専門家からすると「そこは違う」ということがたくさんあると思っています)
物語にひとつひとつ正確な情報を詰めこむと、興を損なってしまうのです。
(それでもわたしはけっこう詰めこんでしまうほうです。。)
たとえば、主人公が何の気なしに雲を眺める描写が、
「身長181センチ・16歳の男性で若干猫背、つまり主人公であるこの男の子の目線は、地上高170センチほどであるところの、目線延長8度から見える白雲は、南南東から西北西にかけて、反対側は目線12度まで続いておるから、正確には七十キロに渡って広がっていることになる。
種類としては高積雲であるが、この雲は羊雲、まだら雲、叢雲(むらくも)と呼ばれ、その中では羊の群れがもっとも似ているが〜」
などと書かれていたら、わたしはその小説を読むのをやめます笑。
ひとおもいに、雲の図鑑と数学の本を読みますね。
(上記で書いた計算式は適当です)
それよりも、
「ひつじたちが跳ねているような雲が広がっている。高校1年になる男の子は口笛を吹いた」で、
(ああ、いい天気で、なにかいいことがあったらしい)と書くのが小説だと思います。
※文章技術がつたなくて申し訳ないですが、伝わりますかね。。
話はもどりますが、理科の先生が断頭台を話す場面では、
やがてその生首状態を味わうことになる少女が、あらかじめ理不尽に聞かされ、そしてギロチンの悪夢を見ること(ギロチンを「恐い」と捉えること)、
つまり暗喩に近い使い方がひとつ、
そして後日、少女の首が現実に切り落とされ、走馬燈をみるシーンで、
「首を切られたのに意識がまだあるなんておかしくない?」と、断頭台について
知らない読者の方が、現実にもどってしまうのを防ぐために、あらかじめ出しているわけですね。
(普通、断頭台で切られたら意識がどうなるかなんて、知らないと思います)
首を切られても、数十秒は意識があるらしいと、あらかじめ、わからないように自然に、読者の方に知識をつけていただくわけです。
でも、この場面で間違った情報(ギロチンはギロチン博士が作った等)で、良しとした一番の理由は「登場人物たちのIQや記憶はさまざま」だからです。
当然ながら、作中の人物たちが全員、わたしとおなじ知識では物語が面白くなるはずがありません。
間違った教えを受けて育った人、悪意をもってわざと間違える人なども出てきたほうがいいです。
(自分の知識の中だけでやるならば、天才とか出せなくなってしまいます)
登場人物だからといって、全員が正しい知識を持っているわけではない、ということなのですね。
↓こういう人とか、断頭台の知識を教えても30分後には忘れていそうです笑。
この人に断頭台を語らせる場面であれば、この人なりの断頭台の知識が出てくるはずです。
「痛そうだね! で、どこの国の話?」みたいなセリフになるんじゃないでしょうか。
(でもこういう人、大好きです)
「自分とはI.Qの異なる人物を出す」
これは駆け出しのころに苦労しました。
誤っていると(わたしが)わかっているのに、登場人物がそれについてどういうセリフを話すかというときですね。
(今では、呼吸のようにできます)
この、間違った知識をもった人物がうまく書ける・喋るようになると、またひとつ文章がうまくなると思います。
水やりドクロという理科の先生の中では「それがギロチンの正しい知識」なんですね。
でもここのところをうまーく書かないと「それが本当(あるいは嘘)」と読者の方に思わせてしまうことになります。
「作者は知ってるんですが、本の中のこの人はこう思い込んじゃってるんです」と、それを文章中で伝わるように書くのが、難しいといえます。
(精進あるのみです)
思い出した話だと、宮部みゆき先生の『模倣犯』だったかな、ディスレクシア(※文字の読み書きの障害)に似たような症状を作り、作中にそうした症状の子どもを出したところ、「うちの子がそういう症状なんです」というお手紙をいくつかもらったとか、もらわないとか。
(記憶違いだったらすいません。。でも宮部先生作品であることはたしかです)
※気持ちの悪い(褒め言葉です)作品ですが、本当に長いので、どこにでていたかは記憶が。。。
話はぐっと戻りますが、ギロチンのネーミングについてギヨタンさんがどうしようもできなかったように、
世の中に定着する言葉は、個人では決められないところがあります。
(※と、ここまでで、言葉拾いのカテゴリーなのに、
今回やけに長いなと思いましたが、このまま続けます)
たとえば「しゃもじ」とか、ですね。
「もじって後ろにつけたら、なんか可愛くな〜い?」と、昔の女性が何にでも
「もじ」をつけていたところ、残ったのがこれと、なにかで聞きました。
(ほんとかどうかは、ちょっと。金田一春彦先生のご著作で見かけたような。
ごめんなさい。これは本当に出典が曖昧です)
「髪文字(かもじ)」とかもですね。
(※リンク先、goo国語辞書さん)
いわゆる室町時代発祥の女房詞(にょうぼうことば)というものです。
(※リンク先、おなじくgoo国語辞書さん)
↓室町時代を代表する建築ということで。一回焼失してますが。
今も昔も、世間に広まるほどの造語の一部は、女子高生とか若い女性の世代から出てくるものなんですね。
言語学者や政治家、作家、芸能人だけではないのです。
いまだと、若者言葉というカテゴリーになりますが、
こうした共有度、影響度は、女性の造語力が圧倒的に強いですね。
(※リンク先 wikiさん)
自分、ものすごおっさんで、
高校生時代なんて、はるか記憶の彼方ですが、
たしか「チョベリグ」とか「チョベリバ」が流行(はや)っていた気がします。。
※チョベリグ…超very goodの略です(日本語と英語が混じってる凄まじさ)
※チョベリバ…超very badの略です。
(書いていて、そこはかとなく恥ずかしい。。)
「醤油顔かソース顔か」という二項対立はもうありまして、
「イカす」、「キモい」もあった気がします。
(イカすについては、昭和など、作中の年代が合っていればやっぱり使いますが、
いまはもう言わないですよね)
「MK5」、「ウザい」はもうちょっと後、わたしが大学生のときくらいかな?
※MK5…マジで(M)でキレる(K)5秒前
現在でも、「マジ卍(もう古いですか?)」、
「ぴえん」、「タピる」、「とりま」
(こ、これも古いのかな? 汗)
これくらいの造語になると、とくに近くに若い女性がいなくても、耳に入ってきますね。
この中から、どれくらい残るんでしょうね。
生存率とか、えらい学者さんが研究してそうです。
「ウザい」や「キモい」はまだ現役ですから、
「ネガティブな単語の方が残るかもしれない?」という、無情の法則説も考えてしまいます。
↓なんですかね、この表情(笑)。
「考える」で探したんですが、なんだろう、しばらく見ていられます。
はい、次。
補足知識を入れすぎて、もはやなんの記事なのか、
わからなくなったというかたもいらっしゃるかと思いますが、
わたしの頭の回路、こんな感じで考えながら、文章を書いていますということで、
深く考えずに、流し読みしてください。
「断頭台の間違った知識について、その2」いきます。
・切断されてから20秒〜30秒くらい生きてる説
これも根強い都市伝説ですね。
アントワーヌ・ラボォアジエのギロチン処刑が、話の元なのかな。
(※リンク先 wiki「アントワーヌ・ラボアジェ」)最下段の「ギロチンの都市伝説」を参考に。
でもこれもやっぱりウソのようで、とにかくこの「切断されてからずっとまばたきするから数えてくれ」という話は、色々な形で残っています。
魔女狩り、王族の処刑、時代も場所も様々ですね。
いろいろなところで使われています。
で「実際のところ、どうなんですか?」と思われた方にお答えします。
わたくし、水泳バリバリだったころは潜水でブラックアウト、
格闘技バリバリだったころは、絞め技で落としたり落とされたりした経験は数えきれません。
(自分ストライカーなんで落とされるほうですけどね、、)
個人的には、やはり脳への血流が止まれば、意識は途切れると思います。
ということで、
「ギロチン後、何秒意識があるかどうか」論争は、
本当に一気に血流が止まるクラス、
つまり、重度の心臓発作とか心筋梗塞を起こした際、意識を失うまでの秒数と似ているんじゃないかしらと思います。
電話くらいかけられそう?、、、いや、、、その場ですぐ卒倒?、、、。
そういった出来事と、日常的に関わられているであろう救急救命にたずさわる方の話が、
一番真実に近い、そう思ったりします。
いつか聞けたら、報告しますね。
以上、今回はギロチンの話でした!
おしまい
今日のひと言
小説や映画のネタならいいが、現実と混同してはいけない。
最上世助
・「若葉の下の枯葉」 【言葉拾い】一覧
・「四月 断頭台と少女」『少年と怪物』より
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