少年と怪物
四月
茶ん爺 〜へんくつじいさん〜
「ほんと? さっすがハカセ! あんなおっきいの、つかまえられんの? じゃあすぐそれやろう!」マウスが下から上に、上から下に拍手しながらその場でくるくるとまわった。
「ほんとにシャレにならないけどね」、ハカセがにがい笑いをみせた。
ダイも長治もインチョーも(つまりマウス以外)、ハカセとおなじ顔をした。
弓事件をおこした当の張本人だけが明るく、ウキウキしながらこう言った。
「そいじゃあさ、今日もやっぱ海にいこうよ! ハカセがいう準備だ! 宿題もまだでてないし、明日だって授業もなくて、委員決めくらいでしょ? 人食い海蛇をぼくたちで捕まえたら、また新聞にのれるよ!」
委員決めときいて、インチョーは思った。明日がずっとこなければいい。一年生からここまで、ずっと学級委員長をやらされている。万年委員長。だからこのあだ名だ。
「そいじゃ決をとろう! 今日の午後は海にいって、大ウミヘビ捕獲の準備をはじめたい人!」マウスが言いながら、右腕をまっすぐあげた。
ダイ―賛二。
長治―うーん。怒られるのはぜったいイヤだけど、賛三。
マウス―モチのロンで賛四。
ハカセ―票をごまかすなよ。マウスは賛一だろ。まようけど、やってみたいかな。賛四。
インチョ―反一。賛四の反一できまりだ。
全員の目が、インチョーへあつまった。
「わるい。今日はいくところがあるんだ。やるのは賛成だけど、今日はいけないんだ」
「いくとこ? 図書室?」マウスが首をかしげた。
「茶ん爺のところだろ」ダイがニヤリとした。
インチョーがうなずくと、長治とマウスが同時に「ウエッ!」と言った。
「あのへんくつじいさんのとこ、まだいってるの?」とハカセも目を丸くした。
インチョーは笑いながら言った。
「へんくつじゃない。ただ人とちがった見方をするだけだ。人が見ないところを見るっていえばいいのかな。あんまりしゃべらないけど」
「だんまり同士でどんな会話してんだろ。一回きいてみたい気もするけど」とハカセ。
「ぼく、茶ん爺はすっごく苦手だな」長治が帽子を丸めながら、唇をとがらせた。「まえにさやと港であそんでたとき、さやが海に落ちかけたんだ。それを茶ん爺にみつかっちゃって、もうすんごくおこられてさ……おっかなかったな」
さやは、長治の妹だ。
「うん。たしかにおっかねえジジイだ。ありゃあ、人をころしてるな」ダイが帽子をひとさし指にひっかけてくるくるとまわした。
「茶ん爺はやばいよねえ」マウスも言い、「あれはヤバい」とハカセもあいづちをうった。
「そんじゃあ、今日はインチョーぬきで、人食いザメをつかまえるなんかを作っとすっか」ダイが帽子を高くなげあげて、器用に頭で、スポッとキャッチした。
「廃穴と茶ん爺の小屋はちかい。あとでみんなもきたらいいさ」
インチョーがさそうと、四人がいっせいに「やだやだ」と首と手をふった。
「そんじゃあ、飯食って一時すぎに廃穴に集合だな」ダイが目深にかぶった帽子のつばへ、下唇をだしてフッと息を吹きかけた。
五人で家路につく迷路道の途中、長治が鼻ほじりの加那子のマネをして、鼻の穴に二本の指をつっこんだ。
全員で腹をよじらせて、涙がにじませるほど笑ったが、マウスだけはほっぺたをひきつらせた。
それから、みんなはインチョーへ『小町光のとなりなんて、うらやましい!』と言った。自分でなければ、もっとひどくからかわれていただろう。
みんなと別れてひとりになると、茶色い土とちらほらと芽ぶいた黄緑色の雑草をふみながら、田んぼのあぜ道を歩いた。小町さんとの会話を思いだし、彼女もこんな風に友だちと帰ったんだろうかと、ふと思い、すぐに、考えてはいけないことだ、と頭をふった。
茶ん爺にサメのことをきこう。人食いザメ。女の子を食べたサメ。マウスが見たという大ウミヘビ。なんにしても怪物だ。インチョーはなんどもうなずいた。
そしてたちどまった。今日こそ茶ん爺に言おう。そうきめた。
ちかごろ、だいぶあたたかくなってきた。寒さで頭をマヒさせることができなくなれば、胸の中の怪物がいよいよ暴れだす。そいつは、女の子を殺した人食いザメとちがって姿は見えない。でも、おなじように、かんたんに人を殺せる力をもっている。
今年こそ、冬までのりきれないだろう。胸の中に住むこの怪物に、食われる日がちかい。それがはっきりとわかる。
ならば、母さんをひとりにはできない。してはいけない。
インチョーは、うんうんと、うなずきながら歩いた。
その選択は、世の母親にとって、この世の中における最悪のもののひとつだと、やはり選択してしまった子とおなじで、インチョーも思っていなかった。
「茶ん爺 〜 チャレンジャー 〜」へつづく
・目次『六年生のあゆみ』