※前篇からのつづき。
かぎられた時間で、
かの人物の真意に近づく方法、そのひとつは、
その人が、何によって悲しむかを知ることだ。
実行したことがある人もすくないだろうが、
相手の悲しみについて知れば、
その人生観を深く知ることができる。
つけ加えるなれば、
いかに有能でも、誠実に見えても、
フィーリングが合ったとしても、
たとえどれほど偉い立場にあろうと、
悲しみのない人間はこわいと思う。
名家に生まれ品行方正、社会的地位もあれば、裕福でもある。
おおらかで笑顔をたやさず、だれにも気さくに接する。
だがそんな人間であるからこそ、悲しみの持ちあわせがすくないことがある。
人の苦しみに共感できないことがある。
いろいろある人生の中で、
恨みつらみに負けずに、
笑いながら生きている。
自分に余裕はないのだけれど、
おひとよしに他人の重荷までしょいこんでしまう。
他人の苦労話に、おもわず泣いてしまう。
そんな人がやっぱり人に好かれるのであって、
泣かない強靭さではなく、
泣きもすれば笑いもする人にこそ、
人々は好感をもつ。
だれしも悲しい目にあいたくない。
それが人間のもつ素直な思いで、
親は子を泣かせたくないし、
恋人や結婚相手には、いつも笑っていて欲しい。
だが悲しみについてすこし視野を広げれば、
悲しみは、
ある程度まで味わっていくべきではないだろうかと思える。
人に好かれる要素だと気づく。
世の中には、地獄のごとき、
味わわなくてよい悲しみがあるのも確かだが、
むやみやたらにすべての悲しみをさけようと、
躍起になることはないのではないか。
悲しみを必要以上におそれる必要はないのではないか。
悲しみを知る人間、
人の悲しみに涙する人間がまた、
人に好かれていくからだ。
今日のひと言
『悲しみもまた、豊かな人生をつくる』
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