先日、会社の朝礼で、
「人と動物の違いは、未来がわかるかどうかだ」という話をした。
ライオンは、今日インパラが食えればいいのであって、
10年後、インパラが食えなくなるかもしれないと思って、食料をためこんだりしない。
人間は未来が感じられるからこそ、苦悩するという話だ。
それだけでなく「笑い」もまた、人と動物を大きく区別する。
犬は、飼い主が帰ってくれば尻尾をふり、
全身で喜びをあらわす。
猫はのどを鳴らし、足にすりよってくる。
どちらも、おもわず、こちらがほほえんでしまうが、
犬も猫も、こじゃれたジョークで人を笑わすことはできない。
動作や鳴き声にユーモアを感じたとしても、それは人間側が感じているだけである。
だが人だけは、ねらってこの「笑い」をひきだす力をもっている。
お笑い芸人の方の話術をみていると、すばらしいなと思う。
あたりまえだが、笑いにはいろいろな力がある。
ストレス解消、仕事をうまく回す力、人間関係の潤滑剤・・・。
なにより、笑えば心が軽くなる。
おやじギャグだけは、やや冷遇されている風潮だが、
よくよく見聞きすればあれも「にくめない人」という範囲内であって、
もしおやじギャグを本気で嫌う人がいるのであれば、
狭量なそちらのほうを心配してしまうのは、わたしだけか。
ちなみにおやじギャグは、
脳科学でいえば、自己抑制力が睡眠不足や加齢などで衰え、
連想を言いたくなってしまう現象なのだそうで。
だから脳の働きがにぶる深夜になるにつれ、多発するそうだ。
うんざりさせられたことがある人も多いだろうけれど、
脳の現象なのだから大目に見てあげて欲しい。
というのも、わたしがおやじギャグ派だからというのではなく、
仕事場でちょっとおどけたり、話題を提供したり、おやじギャグを披露したりして、
笑いを運ぼうとしてくれる人の、その気遣いを素晴らしいと思うからだ。
(たんに好きだからという人も多いと思うが)。
賢さの定義はまだまださだまらないが、
朝、ほんのちょっと笑顔をひきだしてくれる人を、わたしは賢いと感じる。
転じて、ユーモアのある人は、そうじて賢い人が多いと思う。
文壇、政財界の双方で、のぼりゆく人々を見ていると、
やはりみなさん、笑顔で、明るく、遊び心をもっている点が共通している。
それも、人よりも一段レベルが高い。
人よりもちょっといい笑顔で笑う。
人よりもちょっと明るい。
人よりもちょっと遊び心をもっている。
お金もいらないし、それほど難しいことではないが、
これを意識しているのとしていないのでは、人生に大きく差がでる。
いまの日本に、とても大切なことだと思う。
今日のひと言
『笑い、明るさ、遊び心。これらに即効性はないが、効果は絶大』
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