少年と怪物
四月
茶ん爺6 〜怪音〜
サメの話はそれでおしまいだった。
それ以上なにを聞いても、こたえはなかった。
サメについて、もっと話してほしかったが、しかたない。サメ狩りの話だけでも収穫だ。
茶ん爺が胸ポケットから、潰れた煙草の箱を出した。一本つまみ、口のはしにくわえる。火をつけるが、まったく吸わない。端から灰になっていくだけだ。
茶ん爺のことは好きだが、インチョーは煙草が大嫌いだった。小さいころから母親が吸っていて、嫌いになった。
茶ん爺はおし黙って、手を動かしつづけた。
茶ん爺の年くらいの人たちには、黙る人がおおい。
『男ってのは、べらべらくっちゃべるもんじゃねえ』と、前に茶ん爺も言っていた。
昔は、そういう風だったらしい。
なにが疲れただの、なにが気に入らねえだの、男がぐちゃぐちゃしゃべるのは、気が弱くて、情けないやつだからだと、そうも言われた。
疲れたのに疲れたと言って、何がいけないのか。
インチョーには良くわからなかったが、茶ん爺の言葉には力があった。
茶ん爺ほど、簡単で、強烈な言葉を話す人を、インチョーは他に知らない。
茶ん爺がつぎの釣り針に手を伸ばす。黒いほど日焼けした腕の筋肉が動く。皮はあまっているが、すごく太い。人の首くらい、あっさり折れそうだ。
米仲港の漁師は皆、茶ん爺に一目おいている(変人とか、ちょっと変わっているという見方もふくめてだけれど)。
一番多く獲物を捕まえて、船を満杯にして帰ってくる腕の良さと、一番の年寄りということに加えて、この、言葉に力があることが一番の理由だとインチョーは考えていた。
かっこいいなと、素直に思う。
だから、何年も前からインチョーは、茶ん爺の話し方を真似していた。
まず、人の話を黙って聞くこと。
二つめに、こたえを求められても、答えがでないものは、その場ですぐに返答しないこと。
時には、何週間も、何ヶ月も、内部で煮詰めて、考え抜いた末でなければ口に出さないこと。
身のうちで、納得いくまで考えを熟成させるのだ。
これが、言葉に重みを与えるコツのひとつだった。
茶ん爺と知りあって丸四年になるが、考えていることのほとんどは、口に出さなくていいものだと知った。
しかし、このやり方には、大きな弱点も合った。
聞き手にまわるのは得意になったが、相手が黙ってしまうと、これはもういけない。
まして、年の差が七十近くあって、共通の話題も無い場合には、居心地のわるいこと、この上ない。
インチョーは話題に困ったすえ、学校帰りの、メンバーとの会話を思いついた。
「今日、みんなをここへ誘ったんだ。でもまた断られた。茶ん爺はすごく怖いって、みんな言ってたんだ」
「ヘッ」
茶ん爺が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。それだけだった。
今の話はひどかった。まったく続かなかった。次の話を見つけなければ。
そのとき、波の音をかき消すように、どこか遠くから、間隔の短い金属音がした。
道路工事のような、断続的な音だ。
この不思議な音を聞くのは、二回目だった。
一回目は先日の夜中だ。大量の鰯が打ちあげられた時だった。
どこか不自然な音で、なんというか、生物的だった。
茶ん爺が、はじかれたように顔をあげた。目を見ひらき、鬼の形相になった。
インチョーは驚いて、茶ん爺の顔を見なおした。
茶ん爺は、大きな目玉をぎょろぎょろと動かし、なにかを凄まじい速さで考えていた。
音がやんだ。
茶ん爺は、急にほうけたような顔つきになって、のろのろと、また作業に戻った。
その顔は、いつもの茶ん爺だった。
「茶ん爺7 〜海ってなに?〜」につづく
・目次 六年生のあゆみ
※イラスト ©️もののふ