怒ると叱るのちがいは、
社会にだいぶ浸透してきたように感じるが、
あらためておさらいすると、
カッとなってしまうのが怒る。
カッとなってはいないけれど、
きつく言わねばこの人にはわからないだろうと思って、言うのが叱る。
もうすこし分類すれば、
感情的になってしまうのが「怒る」、
理性的に相手のためを思うのが「叱る」だ。
(憎まれ役をかって出ようと思う気持ちは「叱る」である)
怒るはくどくどと、ときには何カ月も長続きし、
叱るはすぐに話を切り上げられるので、時間でも区別がしやすい。
怒る、叱るでは、忘れられない話がある。
おそらくデール・カーネギー氏の『人を動かす』に載っていたのではないかと思うが、
このような話だ。
60年ほど前、
有名なテストパイロットで航空ショーの花形だったフーヴァーというパイロットは、
あるとき、サンディエゴで航空ショーをすませ、ロサンゼルスの自宅に飛んでいたところ、
三百フィートの上空で、エンジンが両方ともパッタリと止まってしまった。
たくみな操縦で、そのまま着陸したものの、機体は全壊した。
緊急着陸後、フーヴァーがはまず、燃料を点検した。
フーヴァーが思ったとおり、
プロペラ機に、ガソリンではなく、ジェット機用の燃料が積まれていた。
翌日、飛行場にもどったフーヴァーは、整備を担当した男を呼んだ。
若い整備士は、自分のミスを悟って、無言でとめどなく涙を流していた。
高価な飛行機が壊れたばかりか、危うく操縦士の命が失われようとしたのだから、ショックは当然だ。
フーヴァーの怒りは、想像にあまりあり、このような言語道断の過ちをおかした男を、
誇り高きベテランパイロットが、手ひどくののしったとしてもまったく不思議はない。
ところがフーヴァーは、怒らなかった。叱りもしなかった。
整備士の肩に手をかけてこう言った。
「君は、二度とこんなことをくりかえさない。わたしは確信している。
確信している証拠に、明日、わたしが乗る機体の整備を君に頼もう」
若い整備士は、フーヴァーの言葉を生涯忘れることはなく、
名整備士に成長した。
若い整備士が、もし言い訳をしたら、
すぐにも解雇されたことだろう。
だがフーヴァーは、整備士が心から反省していることを見抜き、
みずからの命が失われかけた事実さえ、絶大な意志力でおさえつけ、
若き整備士の人生を劇的に、前向きに転換させた。
このようなエピソードは、一生で一度あるかないかだ。
だが、フーヴァーのとった行動が巡り巡って、この日本で60年もの時をこえ、
口の端(は)にのぼる。
フーヴァーの度量を目指すことはたいへんむずかしいけれど、
たがいに失敗があったとしても、一個の社会人として、
怒る心ではなく叱る心で、ともに前をむいていければと思う。
広い心で、相手の立場にも理解をしめす努力は、忘れずにいたい。
たとえ相手がわからずやで、
心にぐさりとなる言葉をいわねばならなかったとしても、
「次は改善していこう」と、最後は明るくしめられる心の強さを
もちあわせていきたい。
今日のひと言
『人を成長させるもっとも強い力は、信頼』
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