『悲しみについて』前編

【シン説】
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日本人は、コミュニケーションをとるのが下手だと言われている。

 

 

だから仕事においては、飲み会という場を用意して、

 

酒をクッションとし、

 

おたがいの考えていることをすこしずつ打ち明け、

 

絆をつくっていく。

 

そうして仕事をうまく回していくのが、わたしたちのスタイルだ。

 

 

たとえば「日本は不景気である」と断じてしまうような、

 

複雑さをひとくくりにする上記のごとき表現はまったく好きでないのだけれど、

 

経済界をはじめとし、

 

いろいろな国の方と会ったり、

 

いろいろな国に赴任された方に会ったりすると、

 

われらのコミュニケーション下手は、

 

多分に本当なのだろうと感じる。

 

 

日本はとくに、人脈でつながる傾向の強い社会であるから、

 

気がねなく話せる間柄をつくるのは、全業種で大切な能力だ。

 

 

 

 

前置きはここまでにして、

 

仕事かプライベートかを問わず、人生の中でごくまれに、

 

前述のようなコミュニケーションをこえて、

 

目の前の相手の真意を、

 

もしかすると人格といったものまで知らねば、

 

判断に迷う場面にでくわすことがある。

 

 

その人のおおよそを知るなど、もちろん不可能であるので、

 

さきの飲み会はじめ、

 

身なりや言葉遣いや出身、雑談、

 

あるいは直感などをたより、

 

徐々にその、人となりを判断していくのが

 

わたしたちの通例だ。

 

だがこのような判断方法には、ある程度の年月がかかる。

 

 

そこで、ごく短い時間で決断せねばならないときに、わたしは、

 

その人が、いったい何によって悲しむのかを聞く。

 

 

後編につづく。

 


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