※表紙 photo by Tim Hill
少年と怪物
序章
人の業
【一九八九年 三月二十八日 深夜 同日同時刻 少年より五百メートル西 トラック】
屏風岩の広がるこの磯には、岸の間際に深い海へつながる場所が点在している。
ここもそうで、ちょうど港のように直角に近く、真下の海がいきなり八メートルも深くなっていた。
海へ向けておうぎ型に広がるそこで、一台の二トントラックが大量の水泡をあげながら海中に沈んでいった。
トラックは逆さになり、生き物の内臓に似たパイプだらけの腹を上にし、海底へ消えていく。
白い車体の横には、ゴシック体の空色でこう塗装してあった。
(株)志成建設 子供たちの夢と未来を創る
運転者は加藤忠正(四十二歳)、同乗していたのは木村裕一郎(二十七歳)。
かなりの時が経ったのち明らかになるが、ふたりとも日本で五指に入るスーパーゼネコンである志成建設の契約社員だ。
加藤は宮崎県東臼杵郡西郷村から出てきた独り者であり、木村は北海道砂原町の出身で高校中退と同時に親元を飛びだし、アルバイトを点々としてこの職に就いた。
ふたりともに、入社からまだ半年経っていない。
ふたりは、トラックと共に、この日を境に姿を消した。
深夜の作業を両名に指示した志成建設上層部は、失踪届けも事故届も警察へ提出しなかった。
加藤にも木村にも騒ぎたてるような身内がいないこと(むろんそれをわかってこの仕事を任せている)、
証拠となるトラックまでもがこのさい幸運にも無くなってくれたことが、判断を過つ呼び水となった。
(すべて内密に)
建設会社の上役たちの意向は一致していた。
漁協による損害賠償、自治体の条例違反、環境団体の抗議、マスコミ対応等、会社の不利益―損失は起こらないかもしれない可能性で、であれば利益が優先する。
いつも通りに、
いつもとおなじように、
どこの会社もそうするように。
一台と二人の不可解な消失は、こうして一旦闇に葬られた。
ニュースにもならず、何の影響もなかった。
なぜかガソリンもエンジンオイルも漏れず、多少の油が浮いた程度で、それも太平洋の荒波がさらった。
トラックと共に、世界の崩壊の兆しも確認できなくなった。
一旦は。
「序章 海漁町の自然」につづく
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