「刑事 〜平和な町〜」 『少年と怪物』

警察画像 『少年と怪物』
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少年と怪物


四月


刑事 〜平和な町〜



【同日、四月一日午後三時 千葉県館山たてやま警察署海漁かいりょう幹部交番・一階 本間ほんま輝彦てるひこ

 のちに日本を揺るがす事件の発端となった、その第一報が海漁署に入ったのは、四月一日午後三時だった。

 海漁署は本町ほんまちの、東の外れの海岸線に建っている。
 本町とは、海漁町四地区―西から順に網船区あみふなく戸立区とたてく南海漁区みなみかいりょうく北海漁区きたかいりょうく―のうち、南海漁と北海漁をあわせたものをそう呼ぶ。
 比較して栄えた地区である。

 
 千葉県館山警察署管轄の海漁署・捜査第三課・本間警部補は、この日も十二時ちょうどに昼休みに入ると、赤木屋あかぎやの出前の大盛りカツカレーを食べた。

 岡持ちを持ってきた丸坊主の青年は、中学のときは筋金入りの悪たれだったが、高卒で赤木屋に勤めて四年が過ぎている。
 今日も元気よく挨拶をしていき、それが微笑ましく、本間は新聞を読みながらゆったりと昼休みを過ごし、終わりごろになって便所へいった。
 守る町とおなじで、変化の無い、平和な毎日だった。

 

 本間輝彦は、南海漁区にある農家の、四男二女の三男坊として生まれた。
 勉強の成績は褒められたものでは無く、隣町の館山市の農業高校を卒業後、警察学校へ入り、首都圏近郊の県を二、三年ごとに転々とした。
 四十を過ぎてから、おかみの情けか、生まれ故郷のここに配属された。
 それからもう十年が経つとから、故郷に骨を埋めろと、そのような意味だと、今ではそう解釈している。
 このまま六十歳まで大過無たいかなく過ごして退職。人生すごろくの褒美は、畑いじりと年金暮らしだ。


 
 仲間からはいまでも馬鹿にされるが、警部への昇進試験には落ちつづけ、 
 かなり前から、受けるのもやめていた。
(制度にやる気をそがれたと減らず口をたたくが、本当は勉強が苦手だからだ)

 
 現在の階級である警部補は、いわゆるキャリア組と呼ばれる国家上級試験の合格者ならば、大学を卒業し、半年の警察学校終了後、自動的になれる地位だ。

 エリートたちが配属と同時になる階級に、自分は四十歳を過ぎてからようやくなった(高卒だから警察学校も二年間かよった)。

 
 警察の制度が入り口で決まっていると知ったのは、警官になってからだ。
 
 もちろん手柄を挙げ、活躍すれば昇進のスピードは上がる。
 しかしノンキャリアが絶対になれない上位のポストというものが存在する。
 ノンキャリは、昇進に上限が定められているのだ。 

 入り口で、階段かエレベーターか、道が違う。
 入ってしまえば、道を変えることはできない。

 そして日本警察の九割は巡査、巡査部長、警部補で占められており、警部以上は一握りしかいないのだ。

photo by Okan Caliskan

 
 若いころは、どれほど頑張っても変わらない制度に、腹を立てた。
 だが今となっては(学校と何が違う?)そう思う。

 同級生のほとんどが遊びに夢中な中で、コツコツと努力をしている者たちがいた。
 
 自分は遊んだ。そして後で苦しむことになった。それ以上、何が?
 
 かつての怒りなど思い出せぬほど、もう警察という組織に親しんでしまっている。
 
 故郷に勤められている自分は幸運だとさえ思っている。

 海漁署に勤めて十年来、大きな事件は無いのだ。

 海漁町では、強盗、強姦、誘拐、殺人などの凶悪事件は、すべて町外の出来事だ。

 人手も足りているので、本間も第三課だが(*三課……窃盗、空き巣、ひったくりなどを扱う)一課の仕事(*一課……殺人や放火などの凶悪犯罪を扱う)も手伝うし、総務まがいの仕事もする。また指導係の任についてもいた。

 この十年で、ただ一度だけ全国ニュースになったことがあって(海漁町民は、天地が逆さになったほど驚いたわけだが)、それは先だっての冬、高校生二人組が起こした大規模なカツアゲだった。

 首謀者の高校生、竹原と鈴木というが、かれらは高校生ながらねずみ講式に、手下から金を巻き上げ、その下からさらに集めろと指示をだし、はては幼稚園生からも金を恐喝した。

 なかなかのワルで、総額が二千万円をこえたことからマスコミに取り沙汰されたのだ。
 ふたりとも、将来が真っ暗のワルで有名だったので、すぐに御用となった。

 あとは八年ほど前だったか、セールスマンを装った空き巣も、海漁町では大事件だったといえる。
 現金や貴金属狙いで、五軒が被害にあった。
 
 この町には、鍵をかける家などないし、だいたいが漁か農作業で、昼間は留守だ。
 犯人は、鼻歌まじりで悪事が働けたことと察する。

 
 だがセールスマン泥棒は、この海漁で、ノリのきいたスーツを着るほどの間抜けだった。
 この町に、スーツを着て出社する会社ど一切無いことは下調べしていなかったらしい。

 海漁駅にスーツ姿でいる犯人を、町営バスの運転手が(はて? どこぞで葬式でもあったかいな? そんな話は聞かねえな。こりゃ変だ)そう思って警察に通報し、犯人は一時間半に一本しかない電車を待っているところを捕まった。
 車さえ持っていないチンケな小悪党だった。

 本間は、この森口という犯人を直接取り調べたが『俺は悪くない。だれも鍵をかけていないからいけない』そう話していた。

 この世は、自分だけが正しいと思う人間たちの、主張の押しつけあいだ。

 
 このふたつをのぞけば、海漁町で起きる事件は(誤解を恐れずに言わせてもらえば)取るに足りないものばかりだ。

 おきまりの金髪頭の暴走族どもによる車上荒らし、居酒屋での口論、祭りでの喧嘩、中高生の万引き、近所のもめごとの仲裁、数少ない交通違反(無免許の者も多い)。
 そんなところだ。

 
 だからこそ、本間はここが幸せだと思う。

 世界はきな臭いどころか、ますます血と暴力が激しくなるばかりで、
 海漁町は幸運にも、それらをまぬがれているのだから。

 本間は、そのようなことを考えながら、デスクへと戻った。

 椅子に深々と座ると、平和の証である書類の山ー遺失物報告書、新人研修計画書、不足備品の定期申請、物品請求書、月事処理などを前に、何から手をつけようかと考えた。 
 
 作業していると、めずらしく興奮した声が署内に響いた。
 
 本間は書類から顔をあげた。
 
 年若い高田たかだが、耳障みみざわりな声で電話を受けている。
 
 皆が、何事だという顔で見ていた。

刑事2 〜爪〜」へつづく


・目次 「六年生のあゆみ」


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