『美しさ』

【シン説】
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『美しさ』

 

建物を美しいと感じたことがあるだろうか。

 

わたしは、建築について素人で、なにもわかっていない。
しかし、そんなわたしでも「綺麗な建物だな」と素直にかんじることがある。

 

またそれは、建物にかぎったはなしでもなくて、
なにかの設計図だったり、数字の羅列だったり、プログラムだったりもする。

 

分野はかぎられていない。

 

人が「美しい」とかんじる範囲は、
じつに範囲がひろい。

 

 

たとえば文章にも、美しい、醜いがある。

 

なにをもって基準とするか、これは言語化できる。

 

だが、そのすべてとなると、膨大すぎて書ききれない。

 

またその膨大なすべてを忠実に守ったとしても、
不完全なものができあがってしまう。

 

にもかかわらず、文章でいえば、美醜は1文でわかるし、
ある程度まとまってくれば、さらにはっきりする。

 

 

美とはたいへん不思議な性質をもっており、あらわすにむずかしい。

 

しかし歴然とそこに存在している。

それが美だ。

 

美しさとはなんなのか

 

「美しさ」をもうすこしつきつめると、

 

なにをもって美しいとするか、人によってそれぞれ、差がある。

 

定義が広大だから、

 

人の外見、建物、料理、絵画など、実際に目に見えるものだけでなく、

 

音、心、生き方、自己犠牲などという、目に見えないものまでふくまれる。

 

 

この話では、見た目の美しさにかぎるが、

 

およそ人がつくるほとんどの「物」の、

 

いきつく果ては、美しいかどうかだ。

 

 

美しさはどの分野でも、職人が追求する最後の境地だとおもう。

 

 

車であれば、

 

「すくない量のガソリンで、もっと遠くまでいけるか」

 

「より速く走れるか」

 

「故障がすくないか」

 

「居住性がよいか」

 

「安全性が高いか」

 

このようなことが、設計の基本構想として共通する。

 

が、最後にこだわるのは、フォルムはじめとした、美しさである。

 

 

どのような職においても、職人たればこの、

 

技術の粋といえる、美しさの追求を

 

念頭から消し去ってはいけないと思う。

 

美しさは、目指す境地

 

本当の美しさは、わかりやすい。

 

心の奥底に、異物感なく、すっと届く。

 

わたしが建物を美しいと感じるように、ジャンルや知識をこえて、美しさは伝わる。

 

 

おそらく、そこには創り手の執念が込められているからである。

 

あるいは汗が、努力が、妄執が、いうなれば魂そのものが込められているからである。

 

また、美しいものをつくりだすに、才能は関係ない。

 

 

文壇のトップにも財界のトップにも会ってきたが、

 

天才と幽霊には、ついぞお目にかかったことがない。

 

 

美しさはこだわりや、努力からしか生まれない

 

はじめの一歩はだれだって、

 

「みずからがつくったもの、それにたいして、自分自身が満足しているのどうか」

 

ここを正直にみずからに問うことからはじまる。

 

他人の評価は関係ない。

 

 

すべては努力にはじまり、努力に集まる。

 

これを胸に刻み、毎日つめの先分だけでも、先へいく。

 

妥協しないと決意する。

 

決意した人間が長年苦闘することで、万人の心を打つ、真実の美しさが生まれる。

 

 

自らの手から、真実の美を生みだせるようになったとき、

 

人はいいようもなく幸福になり、豊かになる。

 

 

今日のひと言
『美の追求は、満足を運んでくる』
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