『しあわせは厄介?』

およそ、

人はしあわせになるために生きているのであって

「わたしは不幸になるために生きている」

などという人間には、
さいわいにも、お目にかかったことがない。

だがしあわせについて考えると、ふと、
厄介な性質をもっていると気づく。

たとえば、しあわせのかたちは、

お金であったり、

出世であったり、

家であったり、

理想の恋人や家族であったりする。

しかし、しあわせが大きければ大きいほどよいというのは、すこし盲目的で、

大きなしあわせというものは、

若いときの大恋愛や大金に似て、

身を滅ぼす性質をもっている。

せっかく得たこの大金を失ってしまうのではないか、

すばらしいこの家に泥棒が入ったりしないか、

せっかく得た上級職を無くしはしまいか、

この理想の恋人は、

わたしからいつか去っていくのではないか。

手に入れたものが自分の器と見あっていない、

そう感じてしまった時点で、

心配もつきまとう。

このごろ思う。

人に本当の幸福をもたらし、

害にもならないのは、

ちいさなしあわせではないだろうか。

仕事でいえば、

同僚と飲んで笑ったり、

だれに認められなくてもこだわって仕事をやりきったり、

顧客から「助かりました、ありがとう」と言われたり。

大きなしあわせをひとつ、ふたつではなく、

小さなしあわせをたくさんあつめることこそが、

心を満たすのではないか。

もっといえば、

相手にあげるものが本当のしあわせではないかなと思ったりする。

見つけるだけでなく、

自分でもたくさんつくり、

たくさん手元におき、

たくさんだれかにあげる。

まだまだ未熟な人生だけれども、このごろ、そう思える。

これからの時代、人はしあわせの性質について、もっともっと知らなければならないと思える。

今日のひと言

『われわれは、いながらにして今よりもずっと幸せになれる』


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